「勝者、赤コーナー、イノウエー、モンスター、ナオヤー」
リングアナウンサーの「モンスター」の部分にアクセントをつけた大きなコールが耳に入ってくる。視線の先にはレフェリーから右手を挙げられている幼い顔、20歳になったばかりの井上の姿がほんやりと見えた。テレビ局のアナウンサーが登場し、勝利者インタビューが始まった。リング上は勝者である井上のものだ。
試合会場がある5階から4階へと降りた。まずは医務室に行き、ドクターの診察を受け、控え室に戻る。報道陣がどっと入ってきた。右まぶたの傷と右目に氷囊を当てながら、一つ一つの質問に答えていった。
――まずは試合を振り返って、どうでしたか。
「(井上は)強かったし、速かった。テンポ、間の取り方がすごくうまかったです」
――井上選手はどのような印象でしたか。
「20歳の子の強さではないです。今までやってきた選手の中で一番速かった。こんなに顔が腫れたのは初めてです」
――集大成と位置づけて臨んだ試合でしたね。
「自分のボクシングができたかは分からない、でも、諦めないで最後まで闘うという姿勢は見せられたかな」
みんな、井上と闘うなら今しかない
一通り試合について話した後、一人の記者が問い掛けた。
――井上選手が井岡(一翔)選手や宮崎(亮)選手と闘ったら、どうなると思いますか?
当時、井岡はBA世界ライトフライ級王者、宮崎はWBA世界ミニマム級王者だった。試合が終わって十数分。まだアドレナリンが出ている興奮状態の頭でプロ三戦目を終えた井上と世界王者が戦う姿を夢想する。その瞬間、佐野は何かスイッチが入ったかのように他の日本人ボクサーに呼びかけた。
「みんな、井上と闘うなら今しかない。来年、再来年になったらもっと化け物になる。歯が立たなくなるぞ」
リングで対峙した者しか分からない、心からの叫びだった。
動きを読まれている。開始のゴングが鳴る。
ファーストコンタクトは、井上が上体をかがめ、左のボディージャブから入ってきた。佐野も左を突く。互いにジャブ、ワンツー、ボディーで探り合う。井上のスピードに驚嘆した。
試合はすぐに動き出す。開始1分20秒。佐野が上体をわずかに下げた瞬間だった。ダイナミックで高く突き上げる左アッパーが飛んできた。この試合で井上が初めて放ったアッパー。網膜裂孔の手術をした右目に直撃し、右まぶたをカットした。この一発で佐野に異変が起きた。