リング上で圧倒的な強さを見せつけ、進化を続けるプロボクサー井上尚弥選手。2012年のデビュー戦以来、一度のダウンさえ喫しない怪物ぶりで世界を驚かせている。この年末にビッグマッチを控えますます注目を集める中、過去に対戦した「敗者」の視点からその強さに迫るノンフィクション『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(講談社)が増刷を重ねている。井上尚弥はなぜ強いのか、そして敗者から学ぶべき人生の教訓とは。スポーツの枠を超え、ビジネスにも通じる示唆に富んだ著者インタビューをお届けしよう。(聞き手/ライター 芝 真紀子)
彼の強さを理解するため、敗者の言葉を聞くしかない
――ご著書『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』が増刷を重ねています。発売前から話題となり、井上選手本人もSNSで読むのが楽しみだと発信していましたね。
森合正範(以下、森合) 僕は新聞記者として井上選手のプロデビュー戦から取材を続けてきました。今回の書籍では、敗れた人たちの物語を通して井上尚弥の強さを浮かび上がらせると同時に、彼が成長し「モンスター」としてどんどん大きくなっていくさまを描きたいという思いがありました。
――本書では井上選手のこれまでの対戦相手、つまり敗者となった選手ばかりを取材されています。スポーツドキュメンタリーとして珍しい手法だと思いますが、その理由を教えてください。
森合 2018年、WBA世界バンタム級タイトルマッチで、井上選手が元世界王者のファンカルロス・パヤノ選手と対戦した時のことです。試合はわずか70秒で井上尚弥がKO勝利。一瞬何が起こったのかと、会場が静まり返ったほどでした。
日本人選手の世界戦最速勝利記録となった試合を目の前で見たわけですが、そのすごさをどうやって伝えればいいのかと悩んでしまって。結局、井上尚弥がワンツーで勝ったと、薄っぺらいことしか書けませんでした。自分は井上尚弥のどこがすごいかを理解していないと、その時に気がついたんです。それで周りの方のアドバイスもあって、井上選手と戦った人に話を聞きにいくことにしました。
――敗者へのインタビューは、スポーツ取材の中でも大変デリケートなものだと想像します。どのように取材を進めていかれましたか。
森合 ボクシングの一敗はとても重いものです。年間数試合しか行いませんし、一つの負けによってそれまで積み上げてきたもの全てを失うこともある。全力を尽くして負けたボクサーに相手のどこが強かったかを聞くなんてものすごく失礼なのではないかと、その葛藤は最後までありましたね。ですが、記者としてこの敗戦がどう糧となり今に生かされているのかを聞くことはできるかなと。そしてその人の人生をじっくり聞いていく中で、井上戦についても語っていただくことにしました。井上選手の強さに迫る取材ですが、主役はあくまで語ってくれた人だと思っています。