今回のテーマは、自分を守るため、大きな挑戦をするために準備しておく、前向きな逃げ道、「ポジティブエスケープ」のすすめ、です。
本連載は――「贅沢やムダを省いて超効率化して得る、時間・エネルギー・資金を人生の夢に投資して、可能性を最大化する」ための戦略書――『超ミニマル・ライフ』(四角大輔著)より、思考法と技法をご紹介します。
短期的な成功に意味がない時代
「背水の陣」
苦手な言葉ナンバーワンだ。
「もうダメだ。一か八かやるしかない」
追い込まれた精神状態で死に物狂いになると「火事場のばか力」が湧き出てきて、ガソリンが燃えるかのごとく瞬間的に高いパフォーマンスが出ることがある。
忘れてはいけないのが、それで手にする成功はしょせん「短期」で終わるということ。いや文字通り、大きな炎は「一瞬」で燃料を使い果たしてしまう。
仕事でそんな無謀な挑戦が通用したのは、30年近い社会人経験であった気もするが記憶にないほどだ。そもそも寿命が延びて「人生100年時代」といわれる現代において、そんな「一発屋」のような成功なんて、もはや意味をなさない。
あなたの周りにもいるだろう──「若い頃は、眠らず休まずで死ぬ気になって働き、大儲けしたもんだ」と──大昔の成功を自慢げに語る人が。そんな話を聞くたび虚しくなる。大切なのは、その人が「今どうか」だから。
そもそも「背水の陣」とは戦闘用語だ。
安全な場所にいる軍の上層部が「後がないから死ぬ気で戦え」と、兵士を突撃させるための洗脳ワード。お偉いさんにとって兵隊は弾薬と同じ消耗品のようなもの。
残念ながら日本には、こうやって従業員を追い込むブラック企業が今でも多くある。高度成長期やバブル時代には通用したかもしれない──昔だとしても当然それは許されざる犯罪行為だが。
脱成長時代の今日においては有害でしかない。
40代になるまで気の弱さを克服できず、気合や根性を嫌悪してきた筆者は、「後がない」と考えた途端、震えあがって失敗していた。
そんな中、大きなリスクを取れたのは、「逃げ道」を確保して「いざとなれば大丈夫」という安心感を手にした上で挑戦していたから。結果として、逃げ道ありきの方が変な力も入らず集中力を維持できて、持続的にいい仕事ができることを知った。
今から解説するのは、小心者だったからこそ編み出せたメソッドと言えるだろう。
人生は戦争でも競争でもなく山旅
「背水の陣」より「逃げ道あり」の方が何倍も合理的だ。
「逃げ道」を確保した途端、萎縮せずに思い切った行動に出られるし、精神論なんて不要だからモチベーションも長続きして、いい成果を持続させやすい。
ベテラン勢は、「やる前から逃げることを考えてどうする、もっと強気で攻めなきゃダメだ」と反論してくるかもしれない。だが、戦いや競争とは程遠い登山では、発想は全く逆のところにある。
テントを背負い山道を1~2週間かけて歩き続けるバックパッキング登山(山旅)において、事前準備で最も重要なのは「エスケープルート(非常時の逃げ道)」の確認である。
それを確保することで初めて、険しい山に挑むことができる。むしろ、その準備ができない人は「危険がともなう山に入る権利がない」とまで言えるだろう。
尊敬する一流の登山家はみな、万が一の時のことを考え抜き、その対策を徹底する。生還できる手立てがあるからこそ限界ギリギリの挑戦ができ、前人未到の記録を打ち立てるのだ。
登山に限らず命に関わる冒険全般において、向こう見ずな人ほど死亡率が高く、小心者であればあるほど生存率が高いという。
エスケープルートとは緊急時だけでなく、「攻め」のためのツールとしても機能する。思い切って挑戦できることで成功率は高まり、大きな成果をもたらしてくれるのである。
自分を守るため、大きな挑戦をするために準備しておく前向きな逃げ道のことを「ポジティブエスケープ」と呼んでいる。
弱い人間を救う前向きな逃げ道
それにまつわる経験談が一つある。
筆者は幼少期から心が弱く、大学までチック症と重度の赤面症で苦しんだ。レコード会社の地方営業所で社会人デビューするも──仕事はできない上に──世間知らずな性格が部内で叩かれ、メンタルヘルスに問題を抱え失声症を併発。
東京勤務となってから人間不信が悪化。過労で駅で倒れたり、ストレスで寝ている間に奥歯を噛み砕いたり。結局、会社にも業界にも馴染めないままニュージーランドに移住。
なぜ、こんな人間が15年も競争の激しいレコード会社で働き続けられたのか。その理由の一つに「ポジティブエスケープ」があった。
「いざとなれば明日から、会社に行かなければいい」
まるで呪文のように、心の中でそう唱え続けていたからだ。
皮肉なことに、「いつ辞めてもいい」と思うことで逆に心に小さなゆとりが生まれ、「じゃあ、もう少しだけやってみよう」と気持ちを切り替えることができた。
後に仕事の一つとなったアウトドア活動では、当時からメーカーのサポートを受けて専門誌に寄稿したりしていた。さらに、大学時代に教員免許を取っていて教師になる夢を忘れていなかった。何と言っても「ニュージーランド移住」という夢の存在が大きかった。
だから無理して会社にしがみつく必要はない。本当の限界がきたらスパッと辞めればいい。そう思っていたのだ。
もし、「この会社をクビになったら人生おしまいだ」と背水の陣のごとく、追い込まれた精神状態で働いていたらどうなっていただろうか。
メンタルが弱い筆者なら、心を完全に壊して再起不能になっていただろう。「いつ辞めてもいい」という根拠のない逃げ道が、暗闇に差し込む小さな光となり、筆者を救ってくれたのだ。
とはいえ、教員免許があっても試験に受かって就職先の学校を見つけないといけない。アウトドアスポーツだけで食べていくなんて、他のプロスポーツと同様ハードルはとんでもなく高い。
そして、ニュージーランドの永住権にいたっては、他と比べものにならないほど難しい──実際、15年もかかった。
精神的なセーフティネット
それでも、これらの「ポジティブエスケープ」は間違いなく、精神的なセーフティネットとなって筆者を支え続けてくれた。
さらに言うならば──前向きな逃げ道があったことで──上司や先輩から理不尽なことを強要されても、ギリギリのところで拒絶して魂を売らずに済んだ。
組織に勤めていると、「減給・仲間外れ・降格・クビ」が怖くて、つい組織や上の言いなりになってしまう。
官僚主義と資本主義に取り憑(つ)かれている日本社会では──それが環境や人を傷つける行為だとしても──「命令だから」「職務だから」と自分の心に嘘を重ね続け、多くの人が少しずつ人の道を外れていってしまう。
だがその罪悪感は、認知的不協和(※1)という重いストレスとなって脳にダメージを与え、精神を蝕んでいく。
余談だが、世界中の若い世代が一斉に立ち上がったことがきっかけで、非倫理的な経済活動を繰り返す企業や経営者、人の道を外れた資本主義の現状を社会が許さなくなってきた。遂に時代が変わりつつあるのだ。
筆者には、「自分の心を守るため」という思いもあったが、それ以上に仕事で思い切った挑戦をするために「ポジティブエスケープ」を確保していた。
他の業務を全放棄して、心から惚れ込んだ新人アーティストだけにフルコミットしたり、無理だと猛反対されても既定路線を無視したハイリスクな戦略に打ってでたりしていた。
そうするうちに、いつの間にかヒットを量産できていたのである。
厳しいサバイバル時代を生きる我々は「ポジティブエスケープ」があるからこそ、精神的に辛い状況を乗り越えることができるし、何よりも思い切った挑戦ができる。
もしあなたが職場で苦しんでいたり、仕事で成し遂げたいことがあるならば、あなただけの「前向きな逃げ道」を見つけ出してほしい。
それを確保することで、会社や部署、上司の判断という狭い価値観にとらわれることなく、もっと大きな視点に立てるようになる。
「自分には“あれ”があるから、いつ辞めてもいい」
そのひと言を唱えるだけで恐怖心は小さくなり、どんな臆病な人間であっても、いくつもの挑戦ができるようになる。
ちなみに、英語の「エスケープ」には「長期休暇」という爽快な意味があることもお知らせしておこう。
(本記事は、『超ミニマル・ライフ』より、一部を抜粋・編集したものです)
【参考文献】
※1 Leon Festinger『A Theory of Cognitive Dissonance』Stanford University Press(1957)──認知的不協和とは、心理と行為に矛盾があることで生じる強いストレスのこと