直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
いつ死ぬかもわからない
と思いながらの日々
今でも死ぬのは嫌ですし、死にたいと思っているわけではないですが、いつ死ぬかもわからないと思いながら毎日を生きています。
実際に同業者の中にはハードな仕事がたたって40代で命を落としている人もいます。他人事ではありません。
30代で遺言書をのこす
私は30歳をすぎて作家として活動を始めた頃、遺言書を書きました。
「今自分が死んだら、誰が著作権を管理することになるんだろうか」
あるときそう考え、いつ死んでも構わないように遺言書をのこしたのです。
90歳まで生きた葛飾北斎の
死ぬ間際の様子
歴史上の人物で、心底満足して一生をやり遂げた人間は、ほとんどいなかったのかもしれません。
たとえば、葛飾北斎は90歳まで生きて絵を描きましたが、死ぬ際の様子が次のように記録されています。
)りて死す。(『葛飾北斎伝』飯島虚心著、鈴木重三校注、岩波文庫、P169~170)
「あと10年、いやあと5年長生きできたら、本当の絵描きになれたのに」と言いながら絶命したというのです。
人生はゴールのない道
何歳まで生きようが、どういう生き方をしようが、人間とはそう思う生き物なのでしょう。
人生はゴールのない道を歩いているようなもの。
だからこそ面白いといえますし、面白いと思えることで人間として成熟できるのではないかと思うのです。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。