政治資金については、給与のところで見たように、必要に応じて経費が支払われているわけなので、裏金だの報告書に記載不要だのといったことは、考えられないのです。いかに日本の議員という職業がお手盛りかがわかるでしょう。
これは自民党も野党も同じだということは、物価高が問題になる中で、昨年12月に議員の給料を上げる決定をするという、あり得ない無神経さを見てもわかります。
そうなのです。歳費、手当、政治資金の使途、選挙区、定数といった問題を、この国の議員たちで決めるのは、絶対無理だと考えるべきでしょう。岸田総理は有識者も加えると言っていましたが、それがどんな有識者かわかったものではありません。
実際、小選挙区制の論議は1990年に始まりましたが、審議会の会長は小林藇三次(当時の日本新聞協会会長、読売新聞会長)で、その下に主な新聞社・放送局の社長、論説委員長、編集委員などが10人名を連ねていました。新聞社や放送局は、多くは、本社ビルの土地を政府に払い下げてもらっている立場。厳しい意見など言うはずもない人々です。
議員の給料や定数を決める人を
選挙で決めることの必要性
日本で政治資金改革を行うとすれば、それこそ最高裁判事のように選挙で有識者や立候補者を選び、出席日数に応じて日当を払うくらいの覚悟で組織をつくる必要があるのではないでしょうか。
現状、日本で清潔な政治と言っても、国民自身が政治家からのカネや利益誘導を望んでいる以上、制度だけ作っても、なかなか政治とカネの関係がきれいになるとは思えません。常に法律に裏道をつけることに長けた人々がいるからです。今回の裏金騒動はまさにそうでした。
民度が上がることが、この国にとって一番必要なことです。政治家は偉くもない公僕であり、自ら手を挙げて税金の使い道を決める立場に立候補した人間です。にもかかわらず、国民が疑問を呈したらSNSで罵倒する。こんな連中は政治家にしてはいけません。謙虚に民の声に耳を傾ける人間こそ、政治家に向いています。政治家を偉いと思う必要もなく、われわれの僕(しもべ)と考えるべきなのです。
それを自覚した政治家のみが、人々の尊敬を集める政治家となる――そんな国になってほしいものです。
(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)