真田信繁(幸村)をはじめ、真田一族は戦国時代における傑物を輩出してきた。だが、幸村の大甥(兄の孫)に「増税大魔王」といえる圧政を敷いた男がいたのをご存じだろうか。それが沼田藩の藩主・真田信利である。最終的には領民に告発され、お家取り潰しとなった“バカ殿”の横暴に迫る。(歴史ライター・編集プロダクション「ディラナダチ」代表 小林 明)
「英雄の一族」に
出現した「バカ殿」とは?
真田氏は、戦国時代を代表する英雄の一族だ。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』にも、戦国武将・真田昌幸とふたりの息子(兄・信之、弟・信繁)が登場した。弟の信繁は「真田幸村」の名でも広く知られている。
だが、関ヶ原の戦いで家康に敵対した昌幸は高野山に幽閉され、のちに死去。信繁(幸村)は大坂夏の陣で戦死する。
一方、戦国乱世を生き延びた真田信之は1616(元和2)年、信濃国・上田城を本拠に上田藩を立藩した。その後、1622(元和8)年、同じく信濃の松代に移封され、松代藩の藩主となる。
信之は上野国(群馬県)に、父・昌幸から受け継いだ沼田も領有し、同地は子の信吉(のぶよし)に譲っていた。ところが、信吉は1634(寛永11)年、父に先立って死去。信吉の後を継いだ長男(信之の孫)も、4年後に夭折(ようせつ)してしまう。
そこで沼田領は信吉の弟・信政(のぶまさ)と、信吉の次男・信利(のぶとし)とで分割して治めることになった。詳しくは次ページ以降で解説するが、この信利こそが、すさまじいまでの増税で領民を苦しめた“バカ殿”である。