幕末の英雄として多くのドラマや小説で描かれてきた坂本龍馬だが、実はその功績の多くが創作であるとの見方が強まっている。幕末の英雄として多くのドラマや小説で描かれてきた坂本龍馬だが、実はその功績の多くが創作であるとの見方が強まっている

幕末のヒーローとして、数多くのドラマや小説などに描かれてきた坂本龍馬は、日本史上の「好きな偉人ランキング」でも決まって首位を争う。老若男女を問わず人気の高い龍馬だが、一介の脱藩浪士が激動の中で縦横無尽に活躍したというのは、あまりにも出来過ぎではなかろうか? 近年、歴史教科書では「薩長の盟約に尽力した」という程度の紹介にとどまり、幕末史研究の専門家からはその虚像と実像との乖離(かいり)も指摘されている。(ジャーナリスト 桑畑正十郎)

「薩長同盟」「大政奉還」「船中八策」
“3大功績”の虚実は吟味必要

 坂本龍馬の幕末の功績と言えば、一番に「薩摩藩と長州藩の仲介役として薩長同盟の立役者となったこと」、次いで「土佐藩を動かして大政奉還を提言したこと」、さらに「明治新政府の基本となった国家構想『船中八策』を提案したこと」が有名だ。多くのドラマや映画など、龍馬の活躍を描く上でこの三つは欠かせない。

 しかし、史実を丹念に調べていくと、残念ながら大半がフィクションだったと言わざるを得ない。

 一番の功績「薩長同盟」を後回しにして、まず「船中八策」について見てみよう。これは、龍馬が土佐藩の参政(重臣)後藤象二郎に、京へ向かう船中で与えた策として知られているが、策を長岡謙吉(土佐藩出身)が書き留めたという書面は存在せず、後藤の回想などにも出てこない。以前から「後世の作り話」と指摘されてきた。

 実はこのエピソードは、「新政府綱領八策」という、慶応3(1867)年11月に龍馬自身が示した新政府設立のための政治綱領(龍馬の自筆が残る)を基に、龍馬を“際立たせる”意図でさかのぼって創作された逸話と判明している。