「天保の改革」水野忠邦の異常な出世欲、嫌われた老中の「カネにまみれた本性」とは?
小林 明
水野忠邦は「天保の改革」(1841~1843)を主導した老中首座(老中のトップ)だ。しかし、この改革は「質素倹約」を強引に押し付けるもので…
2024.7.30
江戸時代には数多くの「藩」があった。俗に「江戸300藩」といわれるが、改易(領地の没収)になった藩も含めれば実数はもっと多かっただろう。それだけの数があれば、各地を治めていた藩主、いわゆる殿様に問題児が出現しても不思議ではない。
「酒好き」に「女好き」、「遅刻魔」、中には殺人などに手を染めた「犯罪者」まで――。歴史をひもとくと、そうした不届き者が殿様として権力を握っていた事例が数多くある。
そこで本連載では、トラブルを繰り返した「バカ殿」を実名で紹介。江戸時代における暗君たちの実像に迫っていく。
小林 明
水野忠邦は「天保の改革」(1841~1843)を主導した老中首座(老中のトップ)だ。しかし、この改革は「質素倹約」を強引に押し付けるもので…
2024.7.30
小林 明
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2024.7.9
小林 明
女性問題で人生を棒に振った殿様は少なくない。中でも目立つのは遊女との関係だ。姫路藩の藩主・榊原政岑(さかきばら・まさみね)も、そのひとり。…
2024.5.30
小林 明
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2024.4.18
小林 明
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2024.3.6
小林 明
徳川家康には11人の息子がいた。第2代将軍となる秀忠。尾張・紀伊・水戸藩の「御三家」を創設する義直・頼宣・頼房。さらに福井藩主となる結城秀…
2024.2.2
小林 明
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2024.1.23
小林 明
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