この詞書(ことばがき)には、随身の存在が記されていない。まるで朝霧のなか、道長と紫式部は二人きりで逢っていたように思えないだろうか。また女郎花も、日記にはなかった他の「御前の花ども」の存在が記されることで、当時は名前の通り「魅力的で男の心を惑わす女」のイメージをまとっていたこの花が、種々様々な花の中から殊更に選ばれたように思える。さらに道長の言葉は「素っ気ない返歌はするなよ」。まるで紫式部の媚態を求めているようだ。紫式部の和歌は『紫式部日記』と全く同じ。だが状況が微妙に変えられているので、ニュアンスは大きく変わる。「身こそ知らるれ」には、女としてのわが身を嘆く、まさに媚態がちらついている。

 これに対する道長の反応も、二つの作品では違っている。『紫式部日記』ではこうだった。

「あな、疾」
と微笑みて、硯召し出づ。

 白露は 分きても置かじ 女郎花 心からにや 色の染むらむ

(「ほう、すばやい返事だ」
殿はほくそ笑まれると硯をご所望になり、こう返された。

 天の恵みに分け隔てなどあるまい。女郎花は、自分の美しくあろうとする心によって染まっているのだろうよ。お前も心がけ次第だ)

(『紫式部日記』寛弘五年初秋)