ところで『紫式部日記』はその年の彰子の出産記録に多くの分量を割いており、そこには梅の完熟する季節からほどない初秋、紫式部が道長と交わした和歌も記されていた。霧の立ち込めるなか、彼に女郎花(おみなえし)の花を渡されて紫式部が和歌を詠み、道長が返したやりとりである。二人の関係性については、雇用主と女房の間柄以上のものではなかった。ところが、同じやりとりが紫式部自身が最晩年に編んだ私撰集『紫式部集』に載せられていて、こちらはニュアンスが違う。二人の間に秘め事めいた空気が流れているのである。

 まずは『紫式部日記』のやりとりを振り返ってみよう。秋の早朝、紫式部は局から外を眺めていて、霧の立ち込める庭に道長の姿を認める。

渡殿の戸口の局に見出だせば、ほのうちきりたる朝の露もまだ落ちぬに、殿ありかせ給ひて、御随身召して遣水払はせ給ふ。橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせ給ひて、几帳の上よりさし覗かせ給へる御さまの、いと恥づかしげなるに、我が朝顔の思ひ知らるれば、
「これ。遅くてはわろからむ」
とのたまはするにことつけて、硯のもとに寄りぬ。

 女郎花 盛りの色を 見るからに 露の分きける 身こそ知らるれ

(渡り廊下の戸口の局から外を眺めていると、うっすら霧のかかった朝方、草の露もまだ落ちない時刻に、道長様が歩いて来られる。警護の者を連れて、遣水のごみを払わせていらっしゃるのだ。殿は私に気づかれ、折しも渡殿の南側で花盛りに咲いていた女郎花を一枝折り取り、私が身を隠している几帳の上から差し出してお見せになった。なんとご立派なお姿。それに比べて私は、まだお化粧もしていない眠たげな素顔だ。恥ずかしさがこみあげ、殿が、
「さあこの花。どうだ、返事が遅くては良くないぞ」
とおっしゃるのにかこつけて、私は奥の硯の傍に引っ込んだ。

 美しい女郎花。今が盛りというこの色を見るにつけても、天の恵みを頂けず美しくなれなかったわが身が恥ずかしゅう存じます)

(『紫式部日記』寛弘五年初秋)