随身たちと共にいた道長は、公卿(くぎょう)たちの来訪に備え土御門殿の美観を保つ作業中である。彼は紫式部に気づくと女郎花を折り、局までやって来て紫式部に差し出した。その時の言葉は、「返事が遅くては良くないぞ」。つまり、女房としていかに素早く対応できるか、それを問うたのである。思えば清少納言の『枕草子』には、彼女が仕えた中宮・定子が清少納言たち女房にこうした〈雅び〉の試験をする場面が何度も描かれていた。まるでそれに対抗するかのように、この『紫式部日記』では、彰子の女房・紫式部を指導する道長が記されている。紫式部は和歌でわが身を卑下し、有能かつ謙虚な女房ぶりを示す。

 しかしこれが、『紫式部集』では違っている。

朝霧のをかしきほどに、御前の花ども色々に乱れたる中に、女郎花いと盛りに見ゆ。折しも、殿出でて御覧ず。一枝折らせ給ひて、几帳のかみより、「これ、ただに返すな」とて、賜はせたり

 女郎花 盛りの色を 見るからに 露の分きける 身こそ知らるれ

(朝霧が風情を漂わせる季節だった。お庭の花たちが色とりどりに咲き乱れ、なかでも女郎花がひときわ盛りに咲き誇っている。ちょうどその時、殿がお出ましになり、女郎花をご覧になった。そして一枝折り取られて、几帳の上から「これ。素っ気ない返歌はするなよ」と言って、私に下さった

 美しい女郎花。今が盛りというこの色を見るにつけても、天の恵みを頂けず美しくなれなかったわが身が恥ずかしゅう存じます)

(『紫式部集』六九番)