人間は誰でも忘れます。そもそも覚えることよりも、忘れることのほうが圧倒的に多いのが人間と言ってもいいんじゃないでしょうか。自分の経験、知識のすべてを覚えている人なんて一人もいません。高齢者でなくても、若い人でも、たくさんのことを忘れているはずです。

忘れて幼児化していった老人は
本質的な存在に戻っていく

 覚えては忘れ、忘れては覚える。これが人生ではないでしょうか。どんどん忘れていいのです。そのほうが精神的にも健康です。

 歳とともにこうやって忘れる力が増すということは、だんだん子供に近づいていくということです。子供って幼児語でものを言うでしょ。そうすると、大人が言葉を失っていくのは、だんだん幼児化していっているわけです。ボキャブラリーの数がうんと少なくなってくる。そうすると、実はものの本質に近づいていく。ということは、悟りに近づいていくことじゃないですか。そういうふうに解釈すれば、全然いいことだと思います。

書影『死後を生きる生き方』(集英社新書)『死後を生きる生き方』(集英社新書)
横尾忠則 著

 子供は知識や経験が少ししかないけれど、非常に本質的な存在です。人間は大きくなるに従って、何かを得るのと引き換えにいろんなものを失って、本質的な存在でなくなっていく。そしてまた、最後は本質的な存在に戻っていくんですね。

 それも一種の輪廻転生だと思います。この現実の中で起こる輪廻転生。時間も転生し、輪廻します。すべてが輪廻転生です。

 人間関係も輪廻転生します。若いころはさまざまな付き合いがあっても、そのうち、自分に必要のない人たちが、だんだん目の前から消えていきます。しかし、同時にいろいろな新しい出会いもある。それも一つの輪廻転生です。

 歳をとると、このようにあらゆるところに輪廻転生のような大宇宙の論理が生きていると感じるんです。