もはや、僕はいい作品を描きたいなんて思っていないので、途中で止めたければ、そこが87歳の完成画です。

 このようにハンディキャップがあることによって、この歳になって作風が変わってきたわけです。

赤塚不二夫がわざと
左手で描いたのと同じこと

「面倒だなぁ」と思いながら、右手が痛いときは、左手で描いています。そうすると、描線がもうあっちへ行ったりこっちへ行ったりします。目の前に、ここに点を置いたつもりなのに、三十センチも離れたところに置いているんです。

 耳が聞こえなくなってきたのに加えて、目もかなり衰えています。本を読んでも、3ページ目くらいから霞んでくるんです。眼鏡屋さんへ行って、調整しても、そこでは見えるんですが、帰ってきたらもう見えない。聴覚、視覚以外の感覚までもがだんだん失われてきています。でも、僕は、それはいいことだと思っている。

 漫画家の赤塚不二夫さんも、わざと左手で描いたという逸話があるようですが、それは自分を超えたかったんじゃないかと思います。あるところまで来ると自分じゃない力が欲しくなるんです。そう思ったときにおそらく、左手で描いたんだと思いますね。そうすれば、自分でなくなりますから。

 赤塚さんのようなギャグ漫画は下手であれば下手であるほど、ギャグも生きてくるわけでしょう?だから、左手で震えながら描いたほうが、もっとギャグらしいものができるんじゃないですかね。

 そのことは、僕の場合もまったく同じで、できればもっとハンディキャップを活用しないとダメだと思います。

努力せずにデフォルメの
絵を描けるのは便利と考える

 左手で描くと、まっすぐの線がブルブルブルってなっちゃうんです。でも、そのようにしか描けない。とにかく、それを肯定するしかしょうがないわけです。しかし、今までだったら、震わせて描かなきゃいけないのが、勝手に震えてくれるというのは、ある意味、便利です。そんな場所に自分が見えない力で引っ張り出されるみたいな感じがします。