自分が意図するところに線が入らない。それはおかしいんですよ。自分でも思わず笑っちゃうくらいに、滑稽なんです。だから、そこを起点にして、絵はどんどんどんどんおかしいものになっていく。おかしい絵を描こうとか、絵を変化させようとか考えなくても、体のハンディキャップが勝手にやってくれる。まっすぐの線がふにゃふにゃふにゃってなる。デッサンが狂うんです。そのデッサンが狂うということを表現と考えるわけです。

 普通は努力して絵をデフォルメしなきゃいけないわけですが、この歳になるとわざわざデフォルメなんか面倒くさくてできなくなってくる。しかし、ハンディキャップが勝手にデフォルメしてくれるんです。ハンディキャップがたくさんあるせいで、僕の絵には予想もつかない面白い変化がこうして生まれているんです。

 誰でもそうですが、歳をとるといろいろなハンディキャップが増えていきます。僕はたまたま絵という表現体を持っていますが、そうでない人だって、日常生活全部が表現の場と思えば面白いんじゃないでしょうか。

一日でものすごい数の
言葉が失われていく

 できなくなることは歳とともにどんどん増えていくわけですが、それらを全部受け入れる。抵抗しないで、従う。僕はこれを自然体と呼んでいます。「老齢の自然体」で、すごくいいことだと思います。

 できないことから新しい発見がどんどん生まれ、想像の範囲が広がっていく。発見しようという意思がなくても、結果として自然に発見に繋がっていくんです。

 それは神からの贈り物かもしれません。

 忘れる力が増すことも、できなくなることがいろいろある中の一つですね。言葉をどんどん忘れていくのを最近は実感します。一日にものすごい数の言葉が失われていくのが、自分でもよくわかるんです。今や、僕は完璧な忘却人間です。

 つい先週まで浮かんでいた言葉が、今週になると、もういくら考えても出てこないことがしょっちゅうあります。だから、文章を書くとき、すごく困るんです。僕は、わからないところに○○と書いて、「ここはこういう意味のことなんだけど、熟語が浮かばないから調べてください」と担当編集者に言えば、調べてくれる。自分で調べようと思っても、手掛かりがないから字引の引きようがないんです。編集者は僕が入れたいと思っている言葉よりも、もっといい言葉を入れてくれることもあります。