中高年読者の多くは、肉体や頭脳の衰えを多かれ少なかれ感じながら日々を送っていることだろう。しかし、87歳の横尾忠則は、あらゆる“商売道具”がボケてきても、それでも絵を描くという。ハンディキャップをポジティブに捉える表現の面白さを語った。※本稿は、横尾忠則『死後を生きる生き方』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
ボケた後で家族にかける
迷惑など考えなくていい
社会は、老人になっても好奇心を持ち続けなさいって言いますが、僕は逆です。そんなもの、持つ必要はないんです。好奇心を持てば、そこに常に欲がついて回るわけですから。
医者なんかも「ボケ防止の方策の一つとして、好奇心を持ちなさい」とよく言いますね。でも、考えてみてください。ボケを防ぐために好奇心を持てば、ますますボケになるんじゃないですか?皆、せっせと苦労して好奇心を満たそうとして、その結果、ボケになっていっているわけです。
でも、ボケになるということは、いいことです。つまり、煩悩を生み出す自意識がなくなってくるということですから、素晴らしいと思います。自意識がなくなるなんてインスタント悟りと言ってもいいでしょう。
誰が言い出したか知りませんが、老化防止、ボケ防止に好奇心を持て!みたいな考えは放っておけばいいんです。ボケた人間は自分なんですから、家族の迷惑など考える必要がなくなるわけでしょ。ときには大変かもしれませんが、介護が家族の務めとして、家族団結のきっかけになることもあると思います。
親の介護によって、人生の学びを経験させられ、そのことが、その人の業の解脱になるということも考えられるのではないでしょうか。
耳も目も手もボケてきたが
ハンディキャップはいいこと
ボケが始まってくる老齢になると、脳以外にも体のあちこちにハンディキャップができるんです。そのハンディキャップは修正するんじゃなく、活用したらいいんですよ。
たとえば、僕の場合で言うと、耳が聞こえなくなってきています。目もどんどん悪くなっています。もう五感が全部衰えてきている。それに加えて、手は腱鞘炎です。つまり、絵を描くためのありとあらゆる“商売道具”がボケてきたのです。ハンディキャップだらけの状態です。
でも、そのハンディキャップを活用すれば、今まで想像もしなかった作品が描ける可能性もあるんです。手が痛いから、面倒くさそうな絵は描けない。でも、下手だけれど面白いものが描ける。
作品のスタイルを変えようなんて思わなくても、体のハンディキャップが自然にスタイルを変えてくれるわけです。こんなに楽なことはない。変えようという意思が、だいたいにおいて作品をつまらなくさせていくわけですから、そんなことをしなくてもよくなる。