たびたびニュースを騒がせている「インフレ」。実は日本では実に40~50年ぶりであることをご存じだろうか(日本のバブル期には資産価格は上がったが、物価はほぼ上がらなかった)。インフレを経験として知っている人は少ない。そんななか、これから物価が上昇していく時代に突入しようとしている。
本連載では、ローレンス・サマーズ元米国財務長官が絶賛したインフレ解説書『僕たちはまだ、インフレのことを何も知らない』から、インフレの正体や投資への影響といった箇所を厳選して紹介する。

ドイツのハイパーインフレで大富豪になった人物Photo: Adobe Stock

ドイツのハイパーインフレで富んだ人・損した人

 インフレはとてつもない代償をともなうことがある。しかし、その代償は集計的な経済データを見るだけでは理解しにくい場合もあるのだ。

 一例として、1918年から1923年にかけてのドイツの(明らかに極端な)ハイパーインフレの事例を見てみよう。1914年以前の物価水準が平均100だとすると、1923年末のピーク時の物価水準はなんと142兆9050億5544万7917まで上昇した

 この貨幣価値の大暴落にまつわるエピソードは枚挙にいとまがない。1本目を飲み終えるまで待っていたら2本目が値上がりしてしまうからと、ビールを2本同時に買った男性(「時は金なり」の見本のような例だ)。規制された家賃収入が急速に高騰する修繕費用に追いつかず、貧困に転落してしまった裕福な家主。パン一切れを買うために蔵書をすべて売り払わざるをえなかった学者。

 しかし、集計データは、こうした個々人の体験したトラウマを覆い隠すものでしかない。実際、ドイツの1人当たり所得は、第一次世界大戦末の1918年から、ドイツのハイパーインフレの悪夢が最高潮に達した1923年にかけて、実質ベースで7.8%下落したが、イギリスの1人当たり所得は同期間にずっと大きく下落したのだ。

 確かに、動員解除はイギリスの経済活動に巨大な影響を及ぼしたが、それでもなおイギリスはドイツが見舞われたような財政的困窮にほとんど苦しまずに済んだ。ではなぜ、ドイツの生活水準の低下は集計上、イギリスと比べて緩やかに見えたのだろう?

 ドイツのハイパーインフレが極端な負け組と勝ち組を生み出したから、というのが1つの答えだ。とりわけ立場が危うかったのは、インフレのせいで名目上のペーパーアセット〔現金、債券、証券などの紙の資産〕が紙くず同然になりつつあった資産家たちだ。

 逆に、レバレッジを活かして資産(工場など)を購入し、商品を備蓄することができた人々は、財を築いた。なんといっても、数時間後には価値が大幅に目減りするマルク建てで借り入れを行うことができたのだから。

 当然ながら、この通貨の大混乱を目の当たりにした賢明な貸し手なら、その埋め合わせとして目も当てられないほどの高金利を要求するだろう。

 しかし、政府の辞書に「賢明」の文字などなかった。その割引率は、1922年初めの年率5%から、1923年初めの12%、同年9月の90%まで、確かに上昇したのだが、その段階になると、ドイツのインフレ率はとんでもないことになっていた。適当な数値を選び、後ろにいくつかゼロをつけ加えれば、そう遠くない値になる。

 このような政府に紐づけられた不合理なほど低い金利で融資を得られた大企業は、事実上、たっぷりとお金をもらって借り入れを行っているに等しかった

 彼らの「債務」は数日もすれば帳消しになる。まるで、ハチミツ壺が無限に手に入るクマみたいなもので、そうした大企業とその経営者たちは大金持ちになった。

 しかし、中小企業にとっては、日利30%などザラだった。まさに、世界金融危機以降、イギリスで大きな物議を醸した「ペイデイ」ローン〔次の給料を担保とした超短期・超高金利のローン・サービス〕の究極版といえよう。