『タイム』の表紙をかざったドイツのインフレ王
この通貨の大混乱のなかで巨万の富を築いた人物の筆頭格に挙げられるのが、フーゴー・ディーター・シュティンネス(1870~1924)だ。1922年版の『ブリタニカ百科事典』によると、彼は「これといったビジネス手法も持たないルール河畔のミュールハイムの会社の創設者」であるというマティアス・シュティンネスの孫であった。
しかし、フーゴーは先代よりはビジネス手腕に長けていたらしく、20代前半の若さで石炭関連の企業を立ち上げる。すぐに運輸業にも手を広げ、多数の船を購入して川や海を通じて自社の石炭を輸送していった。
ハンブルク、ロッテルダム、ニューカッスルに事業所を構えると、いくつもの産業会社の取締役となり、第一次世界大戦の勃発時にはすでに億万長者となっていた。
しかし、それは序章にすぎなかった。戦時中、彼の財産はみるみる膨らんでいった。待望のドイツの勝利を支えるため、複数の事業を垂直統合して巨額のコストを削減する能力にかけては天下一品といってよかった。戦後になると、ドイツの多くの事業家たちと同様、彼もますます国内のボリシェヴィキの反乱に不安を募らせていた。
そこで、彼は反ボリシェヴィキ基金(Antibolschewistenfond)に資金を提供し、1920年には国会議員への選出を果たす。アドルフ・ヒトラー率いる新生ナチ党に資金を提供したのかどうかは憶測の域を出ないが、彼の共感はその方向に向いていたようだ。
しかし、議論の余地がないのは、ハイパーインフレの最中、彼が夢にも思わないような大金持ちになった、ということだ。
すでに正真正銘の国際実業家になっていたシュティンネスは、強い外国通貨を担保に独マルクの借り入れを行った。いわば、巨額の補助金を受け取って事業利益を追求しているに等しい状態だった。
1923年3月、フランスによるルール占領の直後、『タイム』誌の表紙を飾った彼は国際的名声を確固たるものにする[*1]。
記事はシュティンネスを「石炭王、億万長者、現在のドイツの“帝王”」と紹介し、「国際政治という中間地帯で暗躍する人物たちのご多分に漏れず、彼もまたどの陣営が頂点に立とうと勝利をつかむ立場にいる」と締めくくった[*2]。その他の場所では、彼は「インフレ王」として名を馳せるようになった。
そんなシュティンネスの台頭も、抗生物質がないことが災いして突然の終わりを迎える。1924年、何の変哲もない胆のう手術の直後に急死してしまったのである。その後も、彼のビジネスのDNAの一部はドイツ鉄道やRWE(ドイツのエネルギー会社)に息づいているとはいえ、彼の帝国は崩壊した。
しかし、彼のエピソードは、最も極端な事例ながらも、インフレに関する不朽の教訓を与えてくれる。多くの者は負け組になるが、勝ち組に回る者もいる、ということだ。
インフレは、強力とはいえ完全に非民主的な富の再分配の手段になりうる。たとえ経済全体を破壊しなかったとしても、そのなかで暮らす多くの人々を破滅させる力を持っているのだ。
*1 http://content.time.com/time/covers/0,16641,19230317,00.htmlを参照。
*2 ‘The Ruhr’, Time magazine, 17 March 1923, https://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,715096,00.html