たとえばそれは、多く経験によって「ものの見方や考え方が豊かになる」というものです。

 老いてなお成長するというのは、まさしく理想の極みです。現実には失うものばかりが目立っているので、その中で「新たに獲得できるものがある」と言っても、年寄りが負け惜しみで強がっているように聞こえるかもしれません。

 しかし、そのように信じて、自分の老いと付き合っていくのがいいというのが、実体験に基づく私の考えです。少なくともそのように生きたほうが、人生は楽しく豊かになるようですから。

認知症の権威が当事者になり
気が付いた“間違い”

 私のような高齢者に多く見られる病気の一つに「認知症」があります。正常に発達した脳になんらかの原因で記憶や判断力などにおける障害が起きて、日常生活がうまく行えなくなる状態です。「アルツハイマー病」や「脳血管障害」によって起こるということで、単なるもの忘れとは違う、れっきとした脳の病気とされています。

 その認知症の研究で有名な長谷川和夫さん(故人)という方がいました。精神科医で、認知症界のレジェンドといわれた方です。認知症はかつて「痴呆症」というひどい呼ばれ方をしていましたが、長谷川さんはこの呼称の変更にも尽力されました。

 その長谷川さんは晩年、自らも認知症を発症しました。亡くなる4年前の88歳のときに、そのことは公表され、世の中に少なからぬ影響を与えました。「認知症の権威でも認知症になるのか」というのが大方の反応のようです。

 私もそのことに驚きましたが、興味深かったのはそのときの長谷川さんの感想です。長谷川さんは数多くの認知症患者と接しながらこの病気に関する知見を獲得し、効果的な治療法を確立されてきました。しかし、実際に自分が認知症になってみると、「それらに間違いがあったことに気付くことができた」という趣旨のことを話していました。それを知ったとき、多少の誇張はあるような気がしたものの、外側からはうかがい知れない、当事者になることで知ることができるものに初めて気付かれたのではないかと思ったのです。