老夫婦写真はイメージです Photo:PIXTA

年齢を重ねれば、誰しも避けては通れない「老い」。運動機能や認知機能が低下していくほど不安に駆られる、という人も多いはず。現在83歳の著者は、自らの変化と向き合い「老いに振り回されない生き方」を実践しているという。失敗学の専門家が、人生を“それなりに”楽しむコツを解説する。本稿は、畑村洋太郎『80歳からの人生をそれなりに楽しむ 老いの失敗学』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

老いに対して抱く
「不安」と「好奇心」

 私は長年、大学の先生をしていました。専門は機械工学ですが、失敗に注目し、さまざまな角度からいろいろと検討してきたことを体系的にまとめた「失敗学」を広く発信してきたことから、世間では失敗の専門家として認識されているようです。

 そんな私も70歳を超えたあたりから、年々「老い」を自覚する機会が増えました。歩く速度が遅くなった、もの忘れがひどくなった、難聴が進んでまわりの音がよく聞こえなくなった、などというふうにです。これまでに経験したことのない問題が次から次へと自分の身に起こる状態は、あまり気持ちのいいものではありません。この先自分がどうなってしまうのか、人並みに不安を感じることがあります。

 一方で、老いという未知の領域の問題を前に、大いに好奇心が湧いています。昔から疑問に思ったことは徹底的に追究する質なので、あるときから老いによる自分の状態や変化を当たり前のように観察するようになりました。そんなことを続けているうちに、いろいろな気づきを得ましたが、一番は長年研究してきた「失敗」と「老い」に共通点があることです。

 失敗は人が未知の問題に対処するときに起こりやすいものです。すでに経験したものでも不注意などによって起こりますが、ことに未知の問題への対処では防ぐのが格段に難しくなります。未知の問題を前にしたとき、どんな人でも当たり前のように失敗するのです。

 そして、老いもまた、それぞれの人にとって初めて経験する未知の問題なので、最初は対処の仕方がわからず、大いに戸惑います。そのドタバタぶりが、失敗したときとよく似ているように思えるのです。そんなことを考えているうちに、ある考えが浮かびました。それは失敗の研究で得られた失敗学の知見を、老いの問題への対処に活かすことができるのではないかということです。

 あらためて振り返ってみると、私自身は実際に老いを体験・観察しながら、すでにさまざまな場面で失敗学の考えを利用していたことに気付きました。

 老いも失敗と同じで、世の中から忌み嫌われる傾向にあります。しかし、誰しも避けては通れないのですから、目を背けるより、上手に付き合う道を選ぶのが得策ではないでしょうか。私の考えはより前向きで、失敗に「人を成長させる」というよい面があるように、老いにも扱い方次第で人々をよい方向に導く面があると考えています。