『新世紀エヴァンゲリオン』では、カヲルという少年がエヴァの弐号機に侵入するシーンで「第九」の第4楽章が始まります。実はカヲルは最後の使者、つまりエヴァが戦っていた側の使徒のひとりです。

 カヲルは主人公シンジと戦います。「第九」の合唱が流れる中、2人は戦い、その最後でカヲルはシンジに向かってこう言うのです。「君は死すべき存在ではない。君たちには未来が必要だ」と。つまり自分を倒して、未来を掴めと諭すのです。この間、バックでは「第九」の合唱が高らかに歌っています。

「喜びを!太陽の光に満ちた大空を飛ぶように」
「走れ!兄弟よ!自分たちの道を、清々しく勝利に進む勇者のように!」と。

 生と死、人間の愚かさ、そして神の存在を描いたこのアニメの壮大な世界観の構築に、この「第九」の持つ力をある意味利用したともいえます。ここにアニメBGMの真骨頂があります。

「神の存在を感じているか、世界よ」
「星々のかなたに神はいらっしゃるのだ!」

 クラシック音楽を日常的に聴いている人でなければ、ベートーヴェンの「第九」の歌詞が持つ意味をアニメのシーンにリンクさせて考えることはないでしょう。

 さらにいえば、こうして楽曲を深掘りしていくことで、視聴者がアニメの示す世界をよりいっそう深く理解できるでしょう。そしてクラシック音楽の持つ意味と歴史そのものをアニメに加えることで、制作側もアニメの世界観をより深く、広く、クラシック音楽の持つ力で下支えできていると考えられます。

 つまり映像作品にクラシック音楽を使うことで、制作側は絵だけでなく音で物語の世界観を増幅でき、またクラシック音楽そのものが持つ歴史を付与し、さらに視聴者の受け取り方に厚みを持たせるという二重三重の構造を作ることができるのです。

 アニメの世界観が大きければ大きいほど、クラシック音楽を挿入する価値があるといえます。アニメがヨーロッパ各国で広く受け入れられて好まれるのには、こうした文化的基礎要素であるキリスト教の要素が入っていることも大きく影響しているのではないでしょうか。