生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。

30人を殺し、6発の銃弾を浴びても生きていた「人食いライオン」と遭遇した男の凄惨な経験とはPhoto: Adobe Stock

アフリカの夜、ライオンの鳴き声

 それはアフリカでの最初の夜だった。「バンダ」と呼ばれる伝統的な円形の小屋の中で横になり、動物たちの出す音に耳を澄ませていた。近くには私と同じように眠らずにいる動物がいたのだ。

 私は警戒していた。共に同じバンダにいた二人の研究者は先に到着していて、賢明にも窓から離れたベッドを選んで寝ていた。

 私の頭は、開いている窓のすぐそばにあった。窓には棒が渡してはあるが、ガラスはなく、とても安心はできなかった

 冒険好きなヒヒが来て、私の頭に手を伸ばしたとしたら、その棒ではとても止められないだろう。きっと髪の毛をかき回されてしまう。

 あるいは、進取の気性に富むヒョウが前足で私の顔に触れることも止められないに違いない。

 夜中には発電機が止められていたので、完全な暗闇になっていた。何も見えないので、ただ音だけが窓を通って流れ込んで来る。

 そこは中央ケニアの森の中であり、何か物音がすればそれはすべて動物たちのたてる音だ。

 ホーホー、クワックワッ、ブーブー、キャンキャンといった鳴き声とともに、草木のカサカサという音、そして時折、小枝の折れる音も聞こえる。どれも私には新鮮で、まったく聞き慣れない音ばかりだった。

 クワックワッという音は、ハイエナの声ではないかと思った。私は嬉しかった。その、誤解されることも多いが、実に魅力的な動物に是非、会いたいと思っていたからだ。

 やがてまた別の音が聞こえた―説明の必要のまったくない音だ。その音を聞くと、私の奥深くに眠っていたであろう原初の感情が呼び起こされるようだった。

 遠く離れていても、それがライオンの吠え声であることはよくわかった。

人食いライオン

 暗闇の中に響く吠え声は、他に似たもののないほど素晴らしく、そして恐ろしかった。

 私はすぐに昔読んだ「ツァボの人食いライオン」のことを書いた本を思い出した。ツァボは、私の寝ていた場所からそう遠くはない。

 一八九八年の数ヵ月間に、ツァボ川の架橋工事に携わった多数の労働者たちが二頭の人食いライオンの犠牲になったという事件があったのだ。

 夜の闇に紛れてライオンはキャンプに忍び込み、叫び声をあげる労働者をテントから連れ去って行った。

 結局、イギリス陸軍将校で工事の現場総監督だったジョン・パターソンがライオンたちを退治するまでの間に、三〇人近い労働者が殺されることになった。

 パターソンは、キャンプのそばで寝ずの番をして、ついにライオンを退治することに成功したのだ。だが、ライオンは手強かった――二頭のうち一頭は、六発の銃弾を受けてもまだ生きていた

 そのことが頭にあったので、私はその晩、どうしてもトイレに行くことができなかった。

ほとんど類のない体験

 遠い祖先の記憶があるせいで、ライオンを本能的に恐れてしまうのではないか、などと考えたくもなる。かつては、アフリカだけではなく、南ヨーロッパから中東、インドにかけての広範囲にライオンがいた時代もあったからだ。

 現在のライオンの近縁種ですでに絶滅したホラアナライオンはヨーロッパ全土に分布していた。

 一九五〇年代には、トラファルガー広場の下からも化石が見つかっている。

 私の大昔の先祖は、このホラアナライオンのすぐそばで暮らしていたのだろう。先祖たちは窓に渡された棒すらもないところで寝ていたのだ。人間を捕食する動物は比較的少ないと思われるが、ライオンはその可能性がある動物である

 私がライオンの吠え声に強く反応するのはごく自然なことなのだろう。

 だが一方で、近年、ライオンの分布地域が減少していることに私は悲しみを感じてもいる。 現在、ライオンは、サハラ以南のアフリカのごく狭い地域にいるのと、わずかな数がインドに残っているだけだ。捕食者としてはとてつもなく優秀なライオンではあるが、現代の人間の生態系破壊に対抗するのは難しいようだ。

(本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)