生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間に襲いかかり、動物園の器具を壊したゴリラは怒られるのが嫌で犯人は同居している猫だと示す…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。
政権交代が起こる時
最近では、政治家の外見が、政権の座に就く前と就いたあとでどう変わったかを比較する画像がインターネットに流れることがよくある。
たとえば、バラク・オバマの大統領になる前の髪が黒々とした若々しい顔と、政権の終わり頃の髪も白くなりくたびれた顔を比較すると、大統領というのは大変な仕事なのだなあと感じる。
同様のことは、トニー・ブレアや、アンゲラ・メルケルについても言えるだろう。チンパンジーの社会では、アルファ雄は多数の特権を得ることができる。
たとえば食べ物や交尾の相手を多く自分のものにできる。だが、それは永久に続くわけではない。それに権力の座にいる間も良いことばかりではない。
リーダーの地位はストレスになる
アルファ雄にはコミュニティ全体をまとめる責任があり、当然、それは大きな負担になる。 リーダーがどのくらいのストレスを感じているかは、コルチゾールというホルモンの血中濃度を見ることである程度、うかがい知ることができる。コルチゾールの血中濃度が高ければそれだけストレスを強く感じているということだ。
コルチゾールやコルチゾールの類似のホルモンが増えるのは必ずしも悪いことではない。このホルモンが増えることで、リーダーは警戒態勢を維持し、何かあればいつでも動ける状態を保つことできる。しかし、コルチゾールの血中濃度が高い状態が長く続くと、免疫系が弱まる、睡眠不足になる、筋肉が減少する、などの悪影響がある。
アルファ雄やその直接の支持者たちが病気になったり、負傷したりすると、下位者たちはそれを察知する。上位者が弱れば、それは即、取って代わるチャンスとみなされる。野生のチンパンジーのコミュニティを見ていると、実際にはそうでないのに、自分が王座にいるかのようなふりをする者が必ずいる。
また交尾の相手となる雌が広範囲に散らばると、それを追って雄たちも散らばることになる。コミュニティの中には、チャンスさえあれば自分の地位を向上させ、多くの報酬を得ようとする若い雄たちが大勢いる。アルファ雄の競争相手である雄が味方を増やし力をつけると、コミュニティ内の緊張は高まる。
反乱がいつ起きても不思議はない。反乱が起きてしまったら、アルファ雄自身とその支持者たちが鎮圧できない限り、政権は代わることになる。アルファ雄の治世は十年以上続くこともあるが(多くは三~五年くらいしか存続しない)、いずれは転覆される時が来る。政権交代はコミュニティにとって衝撃的な出来事である。
クーデターで地位を追われた雄の末路
抗争が極端に激しくなれば死者が出ることもある。セネガル、フォンゴリの森に棲むチンパンジーのコミュニティを対象に長期間行われた詳細な調査では、クーデターにより地位を追われた、あるアルファ雄のその後が記録されている。
そのアルファ雄は「ファウドウコ」と名づけられた。ファウドウコは十代の後半でアルファの地位に上り詰め、二年半ほどその地位を守った。それを助けたのが、MMと名づけられたナンバーツーのチンパンジーである。
アルファになった雄はいつどういう理由でその地位を追われるかわからない。ファウドウコの場合、その原因となったのは、MMの負った大きな怪我だった。ファウドウコは最も大事な味方を失い、極めて弱い立場に置かれることになった。そして、間もなく、彼はアルファの地位を剥奪され、コミュニティの周縁で生きるようになった。そのままの状態はほぼ五年間続いた。
チンパンジーの社会では、特に雄は、一度こうして隅に追いやられてから長い期間が経って再び高い地位に戻ることは非常に稀である。
ファウドウコとMMとの絆は強いまま保たれていて、新たなアルファであるMMの兄も、ファウドウコに対しては寛容だった。しかし、他の雄たちはそうはいかなかったようだ。ファウドウコがアルファだった頃、彼に恨みを抱えるようになった雄が大勢いたらしい。
そんな雄たちにとって、ファウドウコが再び高い地位に就く可能性が残っていることは許しがたかった。そして、ファウドウコの姿がコミュニティの中で目立ち始めるようになってすぐ、夜間に激しい戦闘が勃発した。
翌朝、ファウドウコは遺体となって発見された。攻撃は、彼の命を奪うほどの激しいものだったということだ。
しかも、彼のかつての隣人たちは、ファウドウコが死んだあともかなり長い間、その遺体に向かって攻撃を続けている。遺体の一部を食べた者までいた。重要なのは、MMとその時のアルファは攻撃に参加しなかったことだ。MMは友達のファウドウコを守ろうとしたし、死んだあとは必死で復活させようとしていた。
暴力的になった根本原因
この戦いによって生じた動揺はコミュニティ全体へと波及した。不安そうにしている者もいたし、激しい怒りが抑えきれない者もいた。フォンゴリの雄たちがそれだけ暴力的になった根本的な原因は、雌の不足にある。それ以前にも同様の事例は観察されている。
交尾の機会を巡る競争が元々激しかったところに、いったん隅に追いやられていたファウドウコが再び競争に加わろうとしたので、事態が悪化することになった。チンパンジーの社会では平和を保つ上で、雄と雌のバランスは非常に重要である。密猟が大きな害になる理由はそこにある。密猟者は雌を狙うことが多い。 特に、子連れの雌はペットの不法取引で高値がつくことが多いので狙われやすい。その結果、雄と雌の数のバランスが崩れ、コミュニティ全体の安定が損なわれている。
(本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)