生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。
カミソリのように鋭い歯
魚の中でもピラニア・ナッテリーほど評判の悪い魚はそういないだろう。
南米の淡水に生息する魚だが、大皿くらいの大きさまで成長し、形も皿のように丸い。そしてカミソリのように鋭い歯を持っている。
近縁の種で、小さくおとなしいテトラと同じく、ピラニアもやはり群れで生きている。
ピラニアとアメリカ大統領
今のように、人を容赦なく殺す獰猛な魚というイメージが広まったのは、おそらくアメリカの元大統領、セオドア・ルーズベルトが一九一三年のアマゾン探検について書いた体験記のせいだろう。
元大統領を驚かせようと、地元の人たちはともかくピラニアが残忍な魚に見えるような血みどろの光景を演出したようだ。
ルーズベルトが見ている前で、一頭の牛を川に追い込んだ。
すると、水の中にいたピラニアたちが一斉に襲いかかり、哀れな牛をあっという間に骨だけになるまで食い尽くしてしまう。
ルーズベルトが本に書いた話が世界中に伝えられ、ピラニアは世界で最も恐ろしい動物の地位を確立したのである。
仕組まれた見世物
だが、ピラニアは本当にそれほど恐ろしい動物なのだろうか。実を言えばそうではない。
牛が食われてしまったのは、あくまでも仕組まれた見世物である。
元大統領に忘れがたい体験をしてもらうため、地元の人たちは川の一部を網でせき止め、その中をピラニアで埋め尽くしたのだ。
牛が川に入るまで、ピラニアは長く食料のない状態に置かれていた―共食いの可能性はあるが、それ以外には食料がなかった。
飢えているところに、弱った動物が現れれば、大変なことになるのは当然である。
ピラニアが脅える時
とはいえ、ピラニアはまったくの無害だと言い切ってしまうのも短絡的すぎる。
歯は鋭く、噛む力も強いので、襲われれば相当な怪我をすることになる。だが狂ったように一斉に獲物に襲いかかり、あっという間に骨だけにしてしまう、というようなことは実は多くない。
ピラニアに人が殺された悲惨な事件はたしかに起きているし、人が手や足を噛まれて大怪我をしたということはそれよりさらに多い。
ピラニアは、相手がすでに弱っている場合を除き、自分より大きな相手に襲いかかることはあまりない。
通常、ピラニアが狩るのは他の魚で、大きな相手といえば、時々、近くにいる大きなナマズを襲うことがあるくらいだ。
不安を感じている兆候
ピラニアの場合、群れを成すのは、自分の身を守るためという意味合いが強い。他の多くの社会性の魚と同じということである。
ピラニアは、カイマンやウ、そして大型の魚たちの好物でもある。
群れが小さいと、ピラニアは不安に陥るようで、観察していてもそれがよくわかる。
たとえば、呼吸が浅くなるのも、不安を感じている兆候の一つだ。一方、群れが大きくなると安心感が大きくなるらしい。
恐ろしい伝説を持つピラニアだが、実際には、捕食者に脅え、群れを成して身を守っている魚だということだ。
(本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)
40億年を生き延びた生物が教えてくれること――訳者より
ある日突然、この世界から自分以外の人間が消えたら、と想像したことが誰でも一度くらいはあるのではないだろうか。
自分以外に人がいないとまず、電気が来ない、水道もガスも出ない。電車もバスも走らない。しばらくは生きられるかもしれない。食料はスーパーなどに行けば一応、ある。日持ちのするものもなくはないし、水はある。ただ、それも時間の問題だ。そう長くは生きられないに違いない。
人間は支え合って生きている。つまり人間は「社会的な動物」である、ということだ。それは精神的な意味だけでなく、もっと切実な物理的な意味でもそうだ。群れを成し、集団で生きる動物なのである。どれほど孤独を好む人ですらそうだ。
社会的な動物と聞いて思い浮かべるのはどの動物だろうか。よく知られているのはハチやアリだろうか。動物園でサルの群れを見たことがある人もいるだろう。オオカミやライオンも群れを成すし、イワシなどの魚も水族館で大群で泳いでいるのを見ることができる。集団で生きているものを社会的な動物と呼ぶのだとすれば、そうでないものをあげる方が難しいかもしれない。
本書はアシュリー・ウォード著“The Social Lives of Animals”の全訳である。直訳すると「動物の社会生活」となるタイトル通り、オキアミやバッタからチンパンジー、ボノボに至るまで様々な社会的動物の生態を詳しく解説してくれる。
だいたい進化の順(人間から遠い順)に並べているのだと思うが、読んでいて感じるのは、結局、どの動物も共通の祖先から生まれた親戚なのだなということである。もちろん、種ごとに大きな違いはあるのだけれど、本質的な部分に違いはない。人間もそこに含まれる。著者も文中で言っている通り、人間と動物の違いは量的なものでしかなく、質的なものではないということだ。
四十億年の時を超えて生き延び、今、生きているのだから、方向はそれぞれに違えど皆、必要にして十分な進化を遂げてきたのである。その意味で等価だ。どの生物も違う歴史をたどればまったく違ったものになっただろう。いずれも偶然の産物である。
皆、生き延びて子孫を残す、という目的は共通なのに、置かれた環境、経てきた歴史の違いにより私たち人間とどれほど違った、どれほど驚異的な生態の動物が生まれたのか、本書はそれを教えてくれる。
本書は一応、分類すれば「ポピュラー・サイエンス」の本ということになるのだが、読むのに高度な科学知識は必要ない。もちろん著者は専門の研究者として極めて科学的に研究をしているのだが、その成果の一つである本書は、言ってみれば「異文化理解の本」になっているからだ。
相手は人間ではなく、人間とは異種の動物たちだが、それぞれがどのような社会を作りどのように暮らしているかを知る、という意味では、外国の文化、社会を知る、というのと本質的には同じである。自分と異質なものを知りたいという好奇心のある人ならば誰でも楽しめるし、得るものがある。
本書にはもちろん、知らなかったことを知る喜びがあるのだが、単に雑学知識が増えるということではない。最も大事なのはそれまでになかった新たな視点が得られることだろう。視点が増えれば、長期的には人生がまったく違ったものになる可能性がある。本書が読者にとってそういう一冊になれば訳者にとってこれ以上の喜びはない。
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「「渡り鳥がVの字で飛行する際の驚くべき省エネ戦略や、ライオンの子殺しの真相など、次々と「動物のひみつ」が明らかになり、人間や動物の社会性って何なんだろうと考えさせられる。辞書のように分厚い本だが、あれよあれよという間に読み進んでしまい、感動の読後感が残った」(竹内薫氏・サイエンス作家)
☆ダヴィンチWEB・書評掲載(2024/4/10)☆
「突き抜けた動物愛を持つウォード博士の視点は、まさに独特。目次を見ると「シロアリは女王のために自爆する」「ゴリラは自分の罪をネコになすりつける」「クジラは恨みを忘れない」など、どれも興味深いものばかりです。厚さ約4センチで、読み応えたっぷりの一冊」(中村未来氏)
☆世界各国で絶賛続々! あなたの世界観が変わる瞠目の書!!☆
山極壽一(霊長類学者・人類学者)
「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」
橘玲(作家)
「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」
サンデー・タイムズ紙
「非常に印象的な本だ。ウォードは動物を細部までよく見ていて、生き生きと書いている」
ガーディアン紙
「魅力的で並外れた物語。サイエンスの面白さを伝えるとびきりの贈り物だ」
ウォール・ストリートジャーナル紙
「あらゆる場面で読者を驚かせるものが待っている。この本を支えているのは、著者のストーリーテリングの天賦の才能だ」
スティーブ・ブルサット(エディンバラ大学教授・古生物学者、ニューヨークタイムズ・ベストセラー著者)
「著者は動物が一般に考えられているよりもずっと社会的であることを明らかにする。最新の科学に深く切り込みながら、古い固定観念を打ち砕く。著者が描くのは、牙と爪で血の色に染まった自然ではなく、協力と協調にあふれた自然の姿だ」