物語はオリジナルの『仮面ライダー』と同じく、ショッカーに改造された本郷猛がショッカーと戦うことを本体とする。さまざまに加えられたアレンジのうち、「ヒロイン」の緑川ルリ子の設定と性格の変更は物語の上でも鍵となっている。彼女は、オリジナルのシリーズとは違って、「戦闘美少女」化している。彼女は知識、技術力、戦闘力を備えて、意識的にショッカーとの戦いに身を投じている。このような女性像は、『新世紀エヴァンゲリオン』の女性たち、つまり葛城ミサトや赤木リツコといった戦う職業女性たちの系譜の上にあるだろう。
元々ショッカーは秘密結社なのだが、そのことには時代の方が不気味な形で追いついてきたと言える。つまり、1990年代に私たちはオウム真理教の事件を経験し、そのことは『新世紀エヴァンゲリオン』の陰謀論的な構図と響き合った。そして、旧統一教会が国家の中枢(自民党)に浸透していたことが明らかになった今、宗教と陰謀論と正義の問題は再び新たな局面を迎えており、『シン・仮面ライダー』のような図式はそういった現実を想起させずにはいられない。
この作品ではショッカー(SHOCKER)は「Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling(計算機知識を組みこんだ再造形による持続可能な幸福組織)」の略称だとされ、その目的は人類の支配ではなく、人類の幸福であることが、その名称にも示されている。そのようにして、宗教団体色が強められている。
実際、この作品に対する私の印象の1つは、「外側の現実世界にはほとんど何も起きていない」というものだった。すべてはショッカーと、ショッカーから離脱しようとする本郷猛や緑川ルリ子との間の内ゲバでしかない。政府のエージェントは登場するものの、竹野内豊と斎藤工という最近の庵野関連作品の常連俳優たちがサービスのように出てくるだけで、下手をすれば彼らが本当に政府の人間なのかを疑うことさえ可能である。