倒れた本郷猛の遺志を継いだ
仮面ライダー2号はどう生きるか
この作品はどこまでも、宗教二世たち(正確には二世なのかどうかも分からないが、とにかく生まれながらにして宗教に入信させられていた人たち)が信仰と宗教組織の軛から逃れようともがく物語なのである。普遍的な正義の物語ではありえない。
結末は、志半ばにして倒れた緑川ルリ子と本郷猛の遺志を仮面ライダー2号の一文字隼人が受け継ぐという形になっているが、この結末は偽物の正義(宗教)を脱して、真の正義に彼が目覚めたものと言えるのだろうか。または、偽物の現実から脱して本当の現実に足を踏み出したものと説明できるのだろうか。
私にはどうもそうは思えない。一文字隼人はこの後、一体何と戦うのか。ひょっとすると彼らはずっと、政府機関の男たちの手のひらの上にいるのではないか。彼らはショッカーという宗教から脱して、別の宗教に入信しただけではないのか。そのような疑問が拭えない結末であった。
河野真太郎 著
しかし、「仮面ライダー」とはそもそもそのような物語だった。そして、あえて断言すれば、ポストトゥルースの現在をいかに生きていくかという教訓を、この作品は授けてくれているのだ。「本当の現実」に目覚めるという物語をこそ、現在の私たちは警戒せねばならない。かといって、すべてはフェイクだという居直りに陥らずに、そのあわいでいかにして生きていくか。一文字隼人が続けていくと決心する「戦い」がそのような戦いであるのなら、私もその戦いには参加したいと感じる。
なお、庵野秀明監督は続編の構想を明らかにしており、そのタイトルは『シン・仮面ライダー 仮面の世界(マスカーワールド)』で、「日本政府がショッカーと同じレベルの人工知能・ブレインを開発して」「ショッカーに入った政治家や官僚がいろいろやろうとする。それと戦う一文字隼人を描く」ものになるそうである。まさに、マスク/フェイクの陰謀論的世界をいかに生きるか、というテーマが追究されるらしいのだ。