佐藤喜一郎三井銀行会長
 1914年に勃発した第1次世界大戦。それを機に、先進諸国はそろって金輸出の禁止(金本位制の停止)に踏み切った。戦費の拡大により、放っておくとどんどん金が国外に流出するからだ。日本も同様に17年、金の輸出を停止した。

 18年11月に戦争が終結すると各国は金の輸出停止を解除していったが、日本は戦後の反動による戦後恐慌(20年)、関東大震災による震災恐慌(23年)や金融恐慌(27年)への対応に追われ、金本位制に復帰できずにいた。この間、金と結び付かない円の価値は乱高下を続けたため、輸出・輸入の業種を問わず財界からは為替相場の安定を望む声が高まる。

 そして、29年に成立した浜口雄幸内閣は、30年1月15日、金解禁に踏み切った。金の海外現送によって為替相場の改善を図ろうとしたのである。しかし、金解禁の前年、米ニューヨーク株式市場の暴落をきっかけに世界恐慌が発生し、世界中が不況に見舞われた。日本の金解禁はその真っ最中に行われたわけだ。

 日本経済のファンダメンタルズ (基礎的条件)は決して強かったわけではないだけに、為替相場が立ち直る一方で、デフレ効果が大きく表れ、国内経済は恐慌状態に陥った。輸出は減少し輸入超過となって、日本の保有していた金は大量に国外へ流出する結果となった。

 それから2年近くこの状態が続く中、31年7月にドイツとオーストリアで起こった金融恐慌が英ロンドン金融市場を不安に陥れ、31年9月20日に英国が再び金本位制を離脱を表明する。それに続く国も相次いだ。同じ頃、満州事変(31年9月18日)の勃発で、軍事行動のための緊急支出を余儀なくされた日本でも、金の輸出を再禁止すべしとの議論が湧き起こる。そしてついに12月17日、日本も金輸出の再禁止を決めるのである。

 さて、この再禁止を巡って当時の日本経済を騒がせたのが、「三井ドル買い事件」である。再禁止が実施されれば、為替相場が下落するのは必至とみて、三井財閥をはじめとする財閥が円売りドル買いを行ったのだ。

 それが、金の大量流出と不況に拍車を掛ける「売国行為」だと世間から非難を浴びる。そして32年、三井合名会社の理事長の団琢磨が右翼テロリストに暗殺される「血盟団事件」の遠因ともなった。

 その「三井ドル買い事件」から35年後の「週刊ダイヤモンド」67年10月9日号で、当時、三井銀行(現三井住友銀行)の会長として金融界現役の最長老という存在だった佐藤喜一郎(1894年1月22日~1974年5月24日)が、事件の真相を語っている。貴重な日本経済史の証言だ。(文中敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

金解禁による不景気
資金需要なく海外で運用図る

ダイヤモンド1967年10月9日号
1967年10月9日号より

 金本位に戻ったとき、財界は、非常に苦しかった。38ドルぐらいに落ちていた為替相場は、だんだん上がって49ドルに戻った。

 ところが、その半面、国内物価は落ちるし、財界は、火が消えたように沈静してしまった。

 今とは時勢が違うが、今日だったら、とてもあのようなことはできるものではない。