人を喜ばせることに終始するのは
百害あって一利なし

 わたしも、エグゼクティブコーチ(経営層にサポートやアドバイスをする人)からいつも、「好かれることに重きを置きすぎ」と言われる。彼女は、自分の顧客(大成功している男性CEOたち)にそんなことは言わない。その必要がないからだ。彼らのロールモデルはスティーブ・ジョブズやジェフ・ベゾスといった、人を喜ばせることなど眼中にない人物ばかり。好かれようが嫌われようが意に介さない。

 それでもわたしはやっぱり、好かれるかどうかが気になって仕方ない。

 下院議員に立候補したときは世間からの批判にも耐えられたけれど、日常となるととたんに、チームの面々に好かれているかどうかが不安でたまらなくなる。これまでで最高の上司だと思ってもらいたいから、なかなか批判できない。それではいけないとわかっているから注意はするものの、力を加減してしまったことが何度もある。

 プライベートでも、友人と意見が違ったり、両親や夫がわたしに腹を立てていると感じると、気持ちがぐちゃぐちゃになる。同僚や知り合い、果ては見ず知らずの人にまで、わたしの言葉をどう受けとられたかが気になって、まんじりともせずに過ごしたりする。

 ちょうど昨日も、サンドイッチを買おうと並んでいたら割りこまれ、すごくむかついたのに何も言わなかった。うるさいやつだと思われるのが嫌だったし、相手の男性は赤の他人で、もう二度と会うこともないだろうと思ったから。心の中では正反対のことを思っていながら、相手の気分を害さないように当たりさわりのないことを言うこともよくある(まさにまずいレモネードの実験と同じ)。あなたは、そんなことない?

書影『完璧じゃなくていい、勇気ある女になろう』『完璧じゃなくていい、勇気ある女になろう』(海と月社)
レシュマ・サウジャニ 著

 もちろん、こんなふうに人を喜ばせることに終始しているのは百害あって一利なし。これが続けば、あっという間に人のことばかり考える人生になり、自分が本当にほしいもの、必要なもの、信じたいものがわからなくなってしまう。自分にふさわしいものも。

 それなのに、世の多くの女性が、好かれるために妥協したり我慢したりするのを当たり前にしてしまっている。じつのところ、誰からも好かれようと躍起になっていると、かえって好かれなくなることが多いのに……。

 でも、もし、まわりの人ではなくまず自分のことを考える勇気をもてるようになれば(きっとできる!)、自分で自分の人生を綴れる作家になれるだろう。