間違いや勘違いを糾弾する人には要注意
コミュニケーションというのは、相手との相互作用で進めていくものであり、決して一方的なものになってはならない。相手が何を言ってきたかを踏まえるのは当然だが、どんな思いで言っているのか、何を求めているのか、といったことを考慮して、こちらの言い方を工夫する必要がある。
相手がイライラしているようなら、気持ちを和らげるような言い方を心がける必要がある。こちらに何かの手違いがあって文句を言われたときも、相手はとくに問題をこじらせるつもりはなく、ただ謝罪の言葉がほしいだけということも珍しくない。それなのに言い訳ばかりしていると、向こうの気持ちが収まらず、ついにこじれてしまう、といったことにもなりかねない。
こちらに失態や失礼があったときは、丁重に謝罪をするのは当然のことだが、相手が何か勘違いしているような場合も、勘違いを糾弾するように指摘したら、相手は気分を害してしまうだろう。
この悩める管理職は、「これまで定型文を要求されたことはないが、みんなそれぞれに考えてうまくやってくれていたのに、なぜそれができないのか」と首をかしげていた。それは社会経験をしっかり積んできたかどうかの違いと言えるだろう。
多くの人は日常生活の中で、「失礼があってはいけない」「相手が気分を害さないようにしないと」「きつい言い方にならないように気をつけないと」「感謝の気持ちを表すようにしないと」といった配慮を自然に行っている。だから、定型文などなくても人の気持ちに対する配慮ができるのだ。
ところが、日頃からそうした他人の気持ちに対する配慮をせずに過ごしてきた人は、相手の気持ちに配慮した言い方を心がけるようにと言われても、どう配慮すればいいかが分からない。
社内の人に対しても、相手の気持ちに配慮することなく、間違いや勘違いをキツく指摘するような人物は、取引先の担当者に対しても似たような対応をしてしまいがちである。ゆえに、社内での様子を見て、人に対する配慮不足を感じる場合は、とりあえずは定型文的な言い回しを教え込むにしても、以上のような心がけを地道に教えてあげることが欠かせない。
そこで大事なのは、自分の頭で考えて動く心の習慣を身につけるように促すことである。マニュアルに頼っていると、決められた通りに動けばいいので、どうしても思考停止に陥りがちである。
何かにつけて、相手はどんな気持ちなのかを想像し、何か言う際にも、それを言われたら自分はどう感じるかを想像してみる。それを常に意識するようにアドバイスする必要があるだろう。
社会経験が豊かな人にとっては当たり前にできることでも、それが乏しい人には当たり前ではないのだ。そこのところを踏まえて、根気強く教育的な働きかけをしていくことが大切である。