結局、2階から飛び降りました。ほうほうのていで建物の正面に向かうと、従業員らが泣き崩れています。私の安否を心配してくれていたのでしょう。

 全焼させてしまった店と1階を見て、「ああ、これで店をやめられる」と、どこか安心した気持ちになりました。

 その後、警察の事情聴取を受け、所持金もなかったので東京・中野区の自宅まで歩いて帰りました。

 母に「店はもうやめる」と打ち明けたところ、慰めてくれると思いきや、意外なことを言ったのです。

「よかったね。せっかく火事になったのだから、もう1回やりなさい」

 想定外でした。もう死んだほうがラクだと思えるほど、つらいことなのに。

 母の理屈は、こうでした。

「火事に遭ったあの店は、お前にとって最高の場所。邪魔だと言っていた八百屋もアサリ屋も、せっかくお前のためにそこにあるんだから」

「逃げるなんて、もったいない!もう一度同じところで頑張りなさい。苦労は成長のため。火事で店がなくなるなんて、最高でしょう?」

逆境の中にいても
目の前にあることは最高だ

 おかげで、私は次のように気づくことができました。

 立地が悪いのも、ならず者しか来ないのも、火事になったのも、すべては最高のこと。より幸せになるようにと、私は導かれている。

 だから目の前にあるものが最高なのだ……と。

 その後、大家さんにダメ元で、店を再開させてもらえないかとお願いに伺いました。

 すると、「あんな客の入らない場所でやらせてしまって、申し訳なかった。無理をすることはないから、他の場所にしなさい」と断られてしまったのです。

 しかし私は引き下がりませんでした。

「今度は一生懸命やるから、大丈夫です。もう一度私に店をやらせてください」

 2回断られ、3回目に伺ったときにようやく、もう1回店をやらせてもらえることになりました。

 ありがたいことに、再建した建物の2階に同じ賃料で再び入ることができました。

 このとき、大家さんに断られていたら、サイゼリヤは店舗数1500超の世界的なチェーン展開なんてできなかったかもしれません。思えば遠くまで来たものです。

 もし、あなたが「今が人生のどん底で、最低最悪」と感じているのなら、それはとても素晴らしいことなのです。