「イノベーションのレシピ」はどう生まれるのか?

クレイトン M. クリステンセン
Clayton M. Christensen
エフォサ・オジョモ
Efosa Ojomo
ガブリエル・デインズ・ゲイ
Gabrielle Daines Gay
フィリップ E. アウエルスワルト
Philip E. Auerswald
翻訳|岩崎卓也(ダイヤモンドクォータリー編集部 論説委員)

『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)で知られるクレイトン・クリステンセンは、2020年1月23日、67歳で他界した。今回紹介する「第3の解」は、逝去する1カ月前、MITプレスが発行するジャーナル『Innovations: Technology, Governance, Globalization』に掲載されたもので、これまで邦訳されていなかった。『ダイヤモンドクォータリー ニューズレター』の発行に当たり、その邦訳を連載していく。

「イノベーションのレシピ」はどう生まれるのか?

市場創造型イノベーションの事例

1850年代のアメリカでは、起業家たちがミシンにまつわる特許侵害をめぐって法廷闘争を繰り広げていた。彼らは、その戦略が無意味であることに気づくまで訴訟合戦を続けた。裁判を起こした弁護士を除いては、誰もお金も進歩も得られなかった。

彼らは、これが出口なき戦いであるという認識に至り、1856年、一致協力して世界初のパテントプール「ソーイング・マシン・コンビネーション」を創設する。それぞれがこのパテントプールに登録された技術を使って会社を設立し、使用料をパテントプールに支払うことで、集団の利益を得るというのである。

ソーイング・マシン・コンビネーションに参加した起業家の一人に、アイザック・メリット・シンガーがいた。パテントプール内の他の起業家とは異なり、シンガーが天才的であったのは、単に優れたミシンをつくることではなく、ミシン市場を創造することに重点を置いて起業したところである。

当時、ミシンはアメリカの平均的家庭にとって高価だけでなく、まだ文化としても一般的ではなかった。実際、衣服を上下で何着も持っている人は稀で、こうした現実の下、生活は回っていた。「シンガーは失敗するだろう」と専門家たちから何度もそう言われた。彼はこれら専門家の意見に耳を傾けるのではなく、新たな市場を創造するために必要なシステムをつくり上げた。

彼のイノベーションには、いまでは当たり前に思えるものも少なくないが、たとえば支店営業所、訪問販売、機械の使用法に関する見込み客への講習、信用販売、流通・輸送インフラの整備などが挙げられる。シンガーは、このような市場を創出するには、顧客がミシンを手軽に購入し、簡単に使用できるシステムの構築と運用の必要性をわかっていた。これができれば、コストも下がり、よりたくさんのアメリカ人がミシンを使えるようになる。

I.M.シンガー社は前例のない成功を収めた。政府の大きな支援を受けることなく、起業家によって設立されたアメリカ初の多国籍大企業となった。そして彼のオペレーションから、衣服を収納できるクローゼット/ワードローブ産業、ファッション産業、繊維産業、衣料品店など多くの産業が生まれた。

シンガーのイノベーションがもたらしたもう一つの成果は、繊維、鉄鋼や石炭など、その他の製造業の労働者がみずからの権利と労働条件を改善するために起こした労働運動において重要な役割を果たしたことである。こうした変化を起こすような制度がつくられたのは、市場創造型イノベーターらが労働者と消費者を十分生み出した後であり、その逆ではなかった。

ただし、シンガーの成功のカギは単に技術にあったわけではない。これまで対象外だった「非消費者」をターゲットに据え、それまでミシンを持っていなかった人たちのために新しい市場を創造した、そのビジネスモデルにあった。シンガーの場合、ミシンを使う非消費者が増えるたびに、社会は大きな恩恵に浴する。

今日、市場創造型イノベーションのフロンティアはどこかといえば、間違いなくグローバル経済の一部になったばかりの国々、いわゆる発展途上国である。1990年代後半、スーダンの起業家モ(モハメド)・イブラヒムによりアフリカに携帯電話市場が生まれる前、アフリカの総人口8億人のうち携帯電話を所有していたのは2000万人未満。つまり2.5%だった。たとえば、人口5500万人以上のコンゴ民主共和国の携帯電話数はわずか3000台。ナイジェリアでは1億2600万人の人口に対して電話回線は100万本足らず——。

しかし、イブラヒムが1998年に創業したセルテルはわずか6年で、ウガンダ、マラウイ、コンゴ共和国とコンゴ民主共和国、ガボン、シエラレオネを含むアフリカ13カ国で携帯電話事業を立ち上げ、520万人の顧客を獲得した。イブラヒムの店舗の前には、いまかいまかと開店を待つ顧客数百人が列を成していた。セルテルはこのように大成功を収め、2004年までに売上高は6億1400万ドル、純利益は1億4700万ドルに達した。2005年、イブラヒムはセルテルを34億ドルで売却した。

いまやアフリカのモバイル通信市場は、9億5000万件以上の定期利用(サブスク)契約、300万人以上の従業員を誇り、アフリカ経済に2100億ドル以上の付加価値をもたらすと予測されている。21世紀に変わるまで携帯電話が金持ちのオモチャだった、とは信じがたい。イブラヒムが成功を収めるには、何より市場創造が不可欠であった。彼がそれを成し遂げたおかげで、それに続いて税制、法規制、雇用、インフラなどにさまざまな恩恵がもたらされた。