文藝春秋社を創設した
小説家、劇作家の菊池寛
香川県庁と高松市役所のすぐ近く、高松市内の一等地に県立高松高校の校地がある。学歴とか伝統、権威を重視する県民性があるが、それを象徴するような場所だ。公立高校としては四国一の進学実績を誇っている。
重鎮とされる卒業生は、小説家、劇作家の菊池寛だろう。いや、単なる文壇の大御所ではない。文藝春秋社を創設した名うての実業家だ。
菊池は1908年に、高松高校の前身である県立高松中学を卒業した。東京高等師範学校、明治大学、旧制第一高校、早稲田大学などに次々と籍を置いたが、卒業したのは京都帝国大(現京都大)文学部英文学科だった。
『父帰る』『真珠夫人』などを発表し人気作家となった。23年に私費で雑誌『文藝春秋』を創刊。35年に芥川龍之介、直木三十五の業績を記念して、芥川賞、直木賞を創設した。
文学賞は今日、たくさんできている。ただ、新人作家を顕彰するという点で、この両賞が最も権威あるもの、という定評が出来上がっている。両賞は「新人小説家の登竜門」といえる。
高松高校卒で芥川賞を受賞しているのは、高城(たき)修三だ。1977年度下半期(78年1月)『榧の木祭り』で受賞した。京都大文学部言語学科卒だ。
太宰治賞については、2005年に川本晶子が『刺繍』で受賞している。
昭和時代後期の小説家・咲村観、文芸評論の十返肇が旧制時代の卒業生だ。
さらに俳人の対馬康子、漫画家の友沢ミミヨ、作家の平尾圭吾、小説家で開高健賞受賞の田村正之(優之)らが卒業している。
歌人の杉原幸子は高松高校の前身の一つである旧制香川県立高松高等女学校出身で、元外交官の杉原千畝(愛知県立第五中・現瑞陵高校卒)の妻だった。千畝死去後の1990年代に『六千人の命のビザ』を著し、第二次世界大戦中にリトアニアの領事館に赴任していた夫がユダヤ系難民に2139通のビザを発給し命を救った事績を紹介した。これにより、千畝の存在が世間一般に広く知られることになった。
児童文学者では、やはり旧制高松高女卒の村山籌子(かずこ)がいた。
脚本家、エッセイストで直木賞作家でもあった向田邦子(むこうだ・くにこ)は、高松高女に1年生の1学期だけ在籍した後旧制東京市立目黒高女(現都立目黒高校)に転校した。取材旅行中の台湾で航空機墜落事故により1981年に死去した。51歳だった。
元商社マンの平尾行隆は、名作童話『星の王子さま』(サン・テグジュペリ)の研究家で、関連の著作を出す一方、物語の舞台となった中米エルサルバドルにミュージアムを造る計画を進めている。
フランス文学者の井上たか子は、『第二の性』(ボーヴォワール)の新訳を、共訳で出版した。東大・フランス文学科卒で、元獨協大教授だ。
脇明子は、翻訳家で英国のファンタジー研究者でもある。