写真:作家の三島由紀夫作家の三島由紀夫 Photo:SANKEI

戦後の日本文学界を代表する
作家の三島由紀夫

 現在は私立だが、戦前は華族の官立学校だった学習院。名門の子弟が集まり、裕福で趣味もハイソだったので後年、作家、文化人、学者などとして名を成した人物をたくさん輩出した。

 旧制学習院中等科、新制高等科を通じ最も著名な卒業生といえば、戦後の日本文学界を代表する作家である三島由紀夫だろう。

 三島は高級官僚を父親として初等科から学習院に入学、1・2年の時から、詩や俳句を作っていた。中等科、高等科の約7年間で多くの詩歌や散文作品を発表、高等科を首席で卒業し、東京大法学部に進学した。成績優秀で、大蔵省にキャリアとして入省した。

 役人は数年で辞め、著作活動に専念した。『仮面の告白』『金閣寺』『憂国』『豊饒の海』など、次々と話題作を出版した。

 40歳あたりから政治的な傾向を強め、民兵組織「楯の会」を結成、1970年11月に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現防衛省本省)で割腹自殺を遂げた。45歳だった。

 三島はノーベル文学賞の候補になっていた、といわれてきた。共同通信の請求に応じ2013年にスウェーデン・アカデミーが開示した資料で、1963年に日本人4人の候補のうちの1人であったことが正式に確認された。

 堂上華族の嫡子として生まれた国文学者の坊城俊民は、旧制学習院中・高等科の後輩である平岡公威(後の三島由紀夫)と知り合い、三島の文才を最も早く認めた一人だった。三島の短編小説のモデルにもなった。20年余にわたり東京府立第九中学とその後身の都立北園高校で国語教諭を務め、生徒に親しまれた。