マニュアル本片手にECに着手
しかし、古参社員の反応は冷ややか
だが、自分が辞めたらこの会社は終わる。借入金もあるから何とかしないといけない。「嫁さん」の実家の家業なので、知らん顔はできない。彼女を幸せにしたいと思って結婚を決めたのに、会社の存続を諦めてしまったら、そのミッションを果たすことができない。
とにかくやれることをやろう。そう決めて、2002年当時まだ工具業界では珍しかったEC(Electronic Commerce/インターネットでの販売)を始めることにした。とはいえ、ネットのことなど何も知らない。パソコンを買いに行くところからのスタートだった。日中は相変わらずトラックに乗っての営業や配達がある。それが終わった後に、マニュアル本を片手に夜な夜な一人で作業する日々が始まった。
ECというのはつまり、ホームセンターなどの小売店に卸すのではなくて、ホームセンターに買いに来る個人のお客さん相手に直接売ってみようというトライアルだ。ホームセンターへの卸価格はだいたい売値の50%程度。小売店は500円で仕入れたものを1000円で売っているわけだ。一方、問屋は470円で仕入れたものを500円で納品するというくらいの低い利益率。多くても1割、たった10%の利益というのが相場だった。それが、ネットなどで直接顧客に販売できれば50%の利益が出る。
(インターネットってすごい!)
しかも、全国の人が直接物を買ってくれるというのが嬉しかった。
ECの可能性の大きさにワクワクしながら、どんどん商品ページをつくって取扱品数を増やしていった。昼間はトラック運転、夜はネットでページづくり、注文が入ったら手書きで発送伝票を書いて出荷。全部一人でやった。送り状も今のようにデジタル化はされていなかったので、すべて手書き。京都市内から注文が来るのがイヤだったと笑う。
「住所が『西入る、東入る』とか『上る、下る』とか、やたら長いんですよ」
問屋商売は量をさばいてなんぼという業界なので古くからいる社員たちは「個人相手に少量を売る商売で食えるはずがない」と冷めた反応で、誰も応援してくれなかった。
「廃業させてほしい。万策尽きた」
「会社だけは残してくれ」と先代は懇願
楽天市場で始めたECの月商がようやく100万円を超えたのは、始めてから1年半後のことだった。そして、売上は2年目からは増加の一途をたどっていった。それには理由があった。
ECを始めた時、「売上が100万円になったら、一人採用しよう」と決めていた。月100万円の売上があれば、一人分の人件費がまかなえる。求人情報のチラシをつくって、それを見て応募してくれたパソコンが得意だという近所の女性を採用した。