商品知識がないから、客の注文の内容がわからない。業界の商慣行を知らないから、仕事の進め方がわからない。正直、工具に興味もない。当時、大都には10数名の従業員がいたが、一番若い社員が45歳。ジャックは28歳。話もまるで合わない。まったく面白くない。ないない尽くしの毎日でとりわけつらかったのが「この会社には夢がない」と感じたことだった。
経営理念もなければ、売上目標すらない。「これで日本一になる」とか「うちの会社はこれで世のなかの役に立っている」という思いを感じることができなかった。それでも、利益が上がっているなら、まだ納得もできるけれど、まったく儲かってもいない。
そもそも問屋業は儲からない。工具メーカーから物を仕入れてそれをホームセンターのような小売店に売るわけだが、同じ商品を納品する問屋は他にいくらでもある。当然、価格競争になる。また、問屋というのは小売店にしてみれば倉庫代わりの存在で、欠品した時にはペナルティの罰金を払わされたりすることもある。小売店の売り場に立って販促の支援をさせられたり売れ残り品を回収させられたりといった理不尽な要請にも黙って応えるしかなかった。
しかも、支払いは約束手形だ。約束手形なんて、それまでは人生ゲームでしか見たことがなかった。受け取った手形が現金化されるまでの期間は180日。先代はとても人がよかったので、高額の不渡りを食らうこともよくあった。
現金回収していた取引先から「手形にしてくれ」という電話が入ると、当時社長だった先代は、すぐに引き受けてしまう。
「手形にしてくれってことは資金繰りが厳しいってことだから、これは引っかかるで。なんで引き受けるんや」と言っても、先代は「かわいそうやんか」と。
その結果、案の定、取引先には逃げられる。気がつけば不渡りを食らって紙切れになった手形が山積みになっている。こんなことで資金が回るはずがなかった。
同業者もみんな「この業界はそういうもんだ」と諦めているようだった。新規参入もないし、業態転換をする会社もなくて、問屋という業界ごとズブズブ沈んでいく感じだった。
(いったい何のためにこの商売をやっているんだろう)
悶々と悩みながら日々を過ごした。好きにもなれないし、将来性も感じられない。ものすごく辞めたかったという。