
後継者不足や経営不振にあえぐ中小企業は多いが、メディアで紹介されるのは華やかにV字回復をした例ばかり。しかし、現実はそうともいかず、事業を終了するケースも往々にしてある。今回は、会社を売却せざるを得なくなった男性のエピソードを紹介しよう。本稿は、山野千枝著『劇的再建 「非合理」な決断が会社を救う』(新潮社)を一部抜粋・編集したものです。
「社長に就任してほしい」
社長と役員が懇願
Fは5人きょうだいの長男。幼少期から、中堅ゼネコンであるF社の創業者の祖父に「跡取り」として扱われていたこともあり、「いつかは会社を継ぐことになるのだろう」と感じていたそうです。
わたしが当時勤めていた大阪産業創造館でFが仕事をすることになったのは、「家業を継ぐ前に1回くらいサラリーマンっぽいことをやっとこうという好奇心と、中小企業経営が勉強できると周囲に説明できるし都合がよかった」という、まあなんともいい加減な理由でした。
この「ろくでもない若者」は、経営者たちの信頼を得て、いつしか中小製造業の研究開発支援分野でエースになっていきました。
そんなある日、家業のF社から連絡が入りました。その頃、F社はFの父親が会長、その右腕的な人物が社長を務めていましたが、事業における実質的な決定権者は会長である父親のままでした。創業者の祖父は一線からは退いています。一方、祖父から「跡取り」を期待され続けてきたFは、相続対策もあって父親を飛び越してF社の株の70%を相続し、実質的なオーナーになっているという「歪な」構造となっていました。
連絡をしてきたのは、社長と財務担当役員。「会長(Fの父親)には内密で会いたい」ということです。職場近くの喫茶店で面会したところ、彼らは会長の放漫経営があまりにもひどく、会社が潰れそうだ、と訴えた後、こう言いました。
「メインバンクの担当者は、経営者が変わらないのであれば支援をやめるといっている。だから、議決権を持つあなたに社長に就任してほしい」
ちなみに、この時のF社の経営状況は、決して悪いものではありませんでした。年商20億円前後をキープしており、債務は2億円程度。業績がこのまま推移すれば3~5年で返せる額ですが、この2億円は会社から個人に貸し付けられていたのです。
会社から経営者個人に対する貸し付けは、銀行からの信頼を失墜させるので、一般的にタブーとされています。しかも、貸付先の名義は、父親だけではありません。祖父名義、親戚名義、天下り役員名義など、回収不能な債権が山ほどありました。会社から借り入れた資金を私的に流用したり、失敗した新規事業の穴埋めに使ったりなど、銀行からの信頼を失う行為を重ねてきたことを、Fはこの時初めて知りました。