その後、2~3カ月をかけて全社員と個別面談を実施しました。この面談で、予想外のことがいろいろと判明します。先代の父親だけでなく、前社長や財務部長の評判もすこぶる悪かったのです。「会社の再建に向けた大事なタイミングなのに誰を信じたらいいかわからず疑心暗鬼になった」といいます。
また、社内の不正や横領を指摘する社員も一人や二人ではありませんでした。会社の風土は経営者そのものを映し出す鏡であり、経営者のふるまいは社内に伝染します。この風土をつくり、今日の事態を招いてしまった元凶は自分の父親でした。
メインバンクからの突然の連絡
融資に難色を示し始める
事業においても、問題が勃発します。財務を任せていた会計コンサルタントSから「メインバンクが融資に難色を示し始めた」との連絡が入ったのです。前年度の工事代金10数億円がほぼ回収され、工事に紐づいた債務を返済した直後でした。
Sによれば銀行が融資に難色を示し始めたのは、「今年の工事の落札状況が悪く、売上の見込みが立っていないから」だといいます。とはいえ、この時点(4~5月)では、国交省から入札案件そのものがほとんど出ておらず、失注したわけではありません。そもそも入札案件が出てくるのは、5~8月。見通しとして、当初からの計画に狂いはなかったのに、「融資が難しい」という銀行からの突然の連絡に、経営陣は騒然となりました。
その後、銀行からのプレッシャーは日増しに強まり、5月末には「融資できない」という結論を言い渡されました。資金ショートまでの猶予は2カ月、事実上の死刑宣告です。「約束が違う」。Fが何度、再交渉を試みても、銀行の審査部が出した結論を覆すのは不可能でした。
銀行から代わりに提示されたのが、A建設への事業譲渡でした。吸収分割というスキームを使い、F社の収益事業だけをA建設に無償譲渡し、債務はF社に残すという荒療治です。
具体的には、A建設が新しくつくった会社にF社の土木事業を移し、抜け殻となったF社は2億円の債務を抱えながら自社ビルの管理を行う会社として継続させるというのです。