公共事業を手掛ける以上、銀行との付き合い方は重要です。というのも、単年の工事を取れたら必要な資金を調達し、年度末に工事を終えて、借り入れた額を翌年度初めに一気に返済するというキャッシュフローでまわっているからです。

 つまり、銀行からの融資がなければ存続できない業種であり、輸血が止められた瞬間に即死するのがゼネコンなのに、父親が銀行との信頼関係をないがしろにしていたことに、Fはショックを受けます。

 この時まで、Fと父親の仲は特別悪いわけではありませんでした。「この不景気に生き残っているなんて、たいしたもんだ」と思っていたくらいです。

 しかし、子どもの頃から何かにつけ馴染んできた会社です。創業者である祖父の想い、また、社員が一生懸命働いていた姿を覚えていた彼は、この事態の収拾に立ち向かうことに躊躇はありませんでした。

「会社を支えてきた社員に申し訳ない気持ちと、社員のために会社を守らないといけないという創業家の跡取りとして育ってきた責任があった」

 当時、Fは34歳。この時の使命感が、大げさに言えばFを「地獄」への入り口に立たせたのでした。

社内に蔓延する不正行為
その元凶は社長である父親

 Fは、まずはメインバンクの担当者であるK部長に会いに行きました。用心深いところもあるFが、社長や財務部長からの話に可能な限り裏付けをとり、状況を確認したうえでのことです。

 銀行との交渉にはそれなりに見込みがあると思っていました。実際、「Fさんに社長をバトンタッチするのであれば、継続的に支援する」とK部長は明言したそうです。「銀行員は口約束をしないものなのに、珍しいな」と思いつつも、その言葉に力を得て、父親を追い出し、会社を立て直そうという決断を固めました。そして父親に対して、株主権限を行使して解任する旨を通告したのです。

 かくして代表取締役に就任したFの最初の仕事は、債務の継承でした。早速メインバンクに呼ばれ、7通の債務関連書類に連帯保証人の押印をさせられました。総額は2億円。経営者の家に生まれ育った人たちは、事業の継続に借り入れが必要なのは当たり前のこととして認識しているものですが、そうはいってもほんの2カ月前まで普通の勤め人だった彼にとっては忘れられない瞬間だったと思います。