「みんなと仲良し」スキルで
上に行けるのは日本ならでは

 この「条件つきの価値」は極めて人を苦しませるものだと思う。条件を満たせなければ、他者に承認されない。偏狭な基準のみで評価する/される生徒たちは、それぞれの才能や特質≒脆弱性を大事にするよりも、弱点として解釈してしまう。「王道」の流れに飲み込まれて劣等感を覚え、己の才能を信じられなくなる。

 本来、家族が偉いとか金持ちとか、自分の運動神経が良いといった属性は本人のコントロールの範囲外である。だから、その人の価値を評価する際に重視されるべきものではない。

 もちろん生まれつきの才能や美しさを褒める対象にすること自体は問題ないが、あくまでもその人の価値を左右するところではない。

書影『日本のコミュニケーションを診る~遠慮・建前・気疲れ社会』『日本のコミュニケーションを診る~遠慮・建前・気疲れ社会』(光文社)
パントー・フランチェスコ 著

 スクールカーストで「イケてる」男性には強さや運動能力の高さが求められる。文武両道であればさらにいいし、人当たりの良さも欠かせない。女性の場合、強さや自立心よりも優しさや母性が求められる。ジェンダー規範に縛られた役割の強調がそこにはある。たとえ本人が望んだものではなくても、特定の規範に沿った褒められ方をする点もまた、スクールカーストの問題である。

 なぜ日本のスクールカーストが独特かといえば、欧米では「みんなと仲良くできる」ことが望ましい特性だと思われていないからだ。むしろ、相容れない人が存在することは当たり前。反感を抱かず誰とも仲良くできるなんてほぼありえないと思われている。「真正性」(自分が自分であること)が最も崇高な価値として位置づけられている欧米の文化において、「みんなと仲良し」というのはむしろタブーである。