実は江川と対戦すると調子を取り戻すことが何度もありました。余計なことは一切考えずに、あのストレートをベストなスイングで打ち返すことだけに集中することで、忘れていた感覚がよみがえることがあったのです。

 初対決は1979年の7月7日の後楽園でした。江川の初登板は約1カ月前の6月2日の後楽園でしたが、私が腰痛のためスタメンから外れていたのです。高校のときから私は江川を意識していましたし、待ちに待った対決です。

 実は、習志野高と作新学院の練習試合が組まれたことがあったのですが、私が第1打席で控え投手の死球を受け、江川が投げる前にベンチに下がってしまったのです。高校のときに対戦して抑えられていれば、負のイメージが残ったかもしれませんが、打席で見るのは初めてです。ましてや、私はプロ5年目で3年連続3割をマークしており、負けられない立場でした。

 初回2死走者なしで回ってきた第1打席。どんなストレートを投げてくるのだろうかと待ち構えていると、初球は何とカーブでした。見送ってボールとなったのですが、その瞬間に私は「勝った。あの江川が俺のことを怖がっている」と思いました。そして3ボール1ストライクからのカーブをライトスタンドに運びました。

 江川は今でも初球に悔いが残っていると言います。キャッチャーのサインに首を振ってストレートを投げ込めば良かったというのです。ただ、江川をかばうようですが、1年目の江川はブランクもあり、本来の球ではありませんでした。実際に1年目は9勝10敗でした。実力を発揮しはじめたのは、20勝6敗の3年目からだった気がします。

江川が悔しがった
一度だけの敬遠

 江川との対決で印象に残っているのは、初対決のホームランもそうですが、一度だけの敬遠です。ベンチの指示でしたが、江川は悔しかったと思います。そのときのボールはすごい球でした。1982年の9月4日の甲子園でした。