プロ野球経験ゼロ「謎のじいさん」がタイガース監督に就任!阪神史上最大のミステリーの真相写真はイメージです Photo:PIXTA

タイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。1955年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎた男性が、突然、阪神タイガースの監督に大抜擢されたのだ。困惑する記者を尻目に、ニコニコ顔で就任会見に臨んだ岸一郎とは何者なのか?本稿は、村瀬秀信『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。

球団事務所に来た見知らぬ老人こそ
まさかのタイガース新監督だった!

 大阪梅田の一等地。現在は阪神梅田本店になっているこの場所に、かつて大阪タイガースの球団事務所はあった。今から70年近く昔の1954年11月22日。この場所にひとりの老人が訪ねてきたところから物語は始まる。

「なんやじいさん、また今日も来たんかいな。ここは大阪タイガースの球団事務所や。じいさまの来る場所やない言うとるやろ……」

 玄関口で職員に追い払われようとしている老人を見つけた大阪タイガース専務取締役の田中義一は、そこに立つ外套を身にまとった人物を目にした瞬間にイヤな予感がしたという。

 老人の割に、身の丈は五尺七寸(約173センチ)と大きい。顔色はナスビのように日に焼けている。それでいて、仕立てのいいスーツに身を包み、日本人離れした彫りの深い顔は、どこかに気品を感じさせなくもない。

 もしかして彼が件の男なのだろうか。田中は居ても立ってもいられず、玄関先で今にも追い返されそうになっているその老人に声をかけた。

「すみません。どういうご用件でしょうか」

「ああ……昨日も来たのですが、球団の田中義一さんに岸が来たとお取り次ぎを願いたく」

 悪い予感ほど当たるもので、この年老いた男こそが、待ち構えていたタイガースの新監督その人だった。

「申し訳ございません。昨日は私用で留守にしていたもので。契約のお約束は今日の14時だと伺っていましたが」

「いや、契約の前にタイガースとはどういう会社なのか見ておきたいと思いまして」

 物見遊山のつもりなのか。いい気なもんだ。球団職員の誰もこの老人が新しいタイガースの監督だということは知らされていない。契約交渉は極秘裏に進められ、この日監督の契約調印が行われることもオーナーの野田誠三と田中以外に知る人はなかったのである。

 翻えること3日前の1954年11月19日。阪神電鉄社長にして、大阪タイガースの第3代オーナーである野田誠三に呼び出された田中は「監督は岸一郎に決めた」という一方的な通達に、言葉を失うしかなかった。