ミスター・タイガース・掛布雅之と元巨人の江川卓は宿命のライバルとして知られている。数々の名勝負を繰り広げてきた2人。初対決で放った本塁打や知られざる私生活での絆について、掛布氏が明かした。本稿は、掛布雅之『虎と巨人』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
苦しんでいた原辰徳との
忘れられない打撃談義
私より3つ年下の原辰徳は巨人の四番打者として意識する存在でした。長嶋さん、王さんと比較されるので苦しい面はあったと思いますが、伝統を継承して、立派に巨人の四番を守った打者です。打率、本塁打、打点の三部門の数字では絶対に負けたくなかったし、三塁のゴールデン・グラブ賞も渡したくありませんでした。巨人を倒す、原に勝つ、そのことが長嶋さんや、王さんに対する恩返しだと思っていました。
私が1988年限りで現役を引退した後も、原は1995年までプレーしました。晩年は代打を送られる姿に胸が痛んだこともあります。当時、日本テレビのスタッフに原と話をしたいと伝えると、長嶋監督の了解を得て、場を設けてもらいました。阪神戦の試合前に東京ドームに部屋を用意してくれて、打撃談義をしました。
原は両腕を絞り込むようにバットを握りたいけど、できないと悩みを打ち明けました。1986年に「炎のストッパー」と称された広島・津田恒実のストレートをファウルした際に左有鉤骨を骨折しており、それ以来、違和感がずっとあったというのです。私も思っていることをいろいろ伝えました。
その日の試合は解説を務めていたのですが、原が代打で出てきて逆転ホームランを放ちました。阪神戦でしたから、OBとしてはきつい一発でした。するとヒーローインタビューで「試合前にある方といろんな話をしまして、すごくいいヒントをいただきました」と、言わなくてもいいのに感謝の気持ちを表してくれました。確かに阪神と巨人はライバル球団ですが、勝ち負けを抜きにして、そういう交流はあってもいいと思うのです。現役を引退して、ユニホームを脱いでいる時ならなおさらです。
伝統の一戦を盛り上げた
ライバル江川との対決
私の現役時代は各チームに同い年に球界を代表する投手がいました。大洋の遠藤一彦、広島の大野豊、そして巨人の江川卓です。私と江川の対決は、阪神と巨人という枠を超えて、プロ野球ファンが楽しんでくれたと自負しています。