大企業の社長や起業家、科学者など、いわゆる社会的に成功した方々にたくさん取材する機会を得てきました。その数は、3000人を超えています。誰もが知る有名な会社の社長も少なくなく、「こんな機会はない」と本来のインタビュー項目になかったこともよく聞かせてもらいました。インタビューで会話が少しこなれてきているところで、こんな質問を投げかけるのです。
「どうして、この会社に入られたのですか?」
数千人、数万人、中には数十万人の従業員を持つ会社の経営者、あるいは企業を渡り歩いて社長になった人となれば、仕事キャリアに成功した人、と言って過言ではないと思います。仕事選び、会社選びに成功した人、とも言えるでしょう。ところが、そんな人たちの「仕事選び、会社選び」は、なんともびっくりするものだったのです。
本記事は、『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋してご紹介いたします。

石田衣良さんは、なぜ作家になるまで5回も転職したのか?Photo: Adobe Stock

いろんな経験をすることが後につながる

 ああ、こんな考え方もあるのか、とハッとさせられた取材もありました。作家の石田衣良(いら)さん。37歳のとき、『池袋ウエストゲートパーク』でデビュー。宮藤官九郎さん脚本の人気ドラマの原作です。後に、直木賞作家の仲間入りをします。

 大学卒業後の3年間、フリーターをしていました。就職するのが面倒だったというか、性格的に会社員は無理だと思っていたのだそうです。社会に出ることや会社で働くことは、すごく大変なことだと思っていたからです。

 ところが25歳で、お母さんが急に亡くなってしまいます。これが一つの転機になりました。これを機会に、世の中を見てみようか、ちょっと怖いけどやってみようかなと就職してみたら、実はそんなに厳しいものではなかったとわかるのです。

 一人で勝手にすごく高い壁があると思い込んでいたら、意外に大したことがないとわかった。就いたのは、広告の仕事。原稿用紙を埋めることでお金になるのなら何でもいいと思っていたそうです。広告は文字の単価が最も高かった。

 広告プロダクションに勤務しますが、5回ほど会社を替わっています。仕事は楽しかったけれど、会社に頼ろうとか、そういう気持ちはまったくなく、嫌ならいつでも辞めて次の会社を見つければいいと思っていたそうです。

 基本的に、わがまま。仕事はちゃんとやっていたけれど、朝は遅くにしか出社しないし、夕方は定時でさっさと帰ってしまう。みんなと同じは嫌なので、全員Tシャツで働いているのに、一人だけネクタイを締めて行ったりもしたといいます。こんな生き方もあるのです。

 30代になってフリーランスになりますが、この仕事に一生かける、みたいな気合いの入ったものではなく、適当に食べられればいいや、という感じ。実際、仕事は毎日2、3時間だけ。それで、時間もあるから小説を書いてみようかなと書き始めるのです。

 子どもの頃から本が好きで、「いずれは作家に」とは思っていたものの、いつかできたら、くらいののんびりしたものでした。それで、やってみたら楽しかった。ただ、なかなか厳しい世界だから、そんなに簡単にうまくいくとは思っていなかった。

 ダメなら趣味でいい、もし運良く本が出せれば、広告の仕事関係の人に配れてカッコイイかもしれない。そんな不純な動機だったそうです。

 日本人は、とにかくこうしないといけないと死ぬ気で頑張ったりする、と石田さんは語っていました。でも、逃げていいと。仕事が合わない、会社が気に入らないと思うなら、どんどん移ればいい。

 その結果として自分に合うものが見つかるかもしれない。特に20代の10年間は大事で、ここで一生をかける仕事は何かを考えたほうがいい。いろんな経験をすることのほうが大切。それは30代以降に必ずつながる。

 こうしないといけない、こうであらねばいけないという風潮が、人生をつまらなくしている可能性がある。そんな話も語っていました。その通りにしたからと、幸せが待っているわけではない。もっと肩の力を抜いて考えてもいいということです。

 今が苦しいと思っている人も多いかもしれません。でも、自分の弱さや不完全さを後ろ向きに捉えないほうがいいと語られていました。誰かの心を強烈に惹きつける魅力は、実は多くの場合、弱さや不完全さの中に潜んでいるから。そして、人の心にはサイクルがある。同じ状況が永遠に続くことはないのだ、と。

※本記事は『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋して構成したものです。