結果は、良くても悪くても、本質的には何の違いもない。経験とは継続することが重要であり、結果も過程の1つと考えれば、どちらに転んでも「良い経験」となって素晴らしい直観につながる経験値となり得るのである。こういった経験の積み重ねは、ある程度時間がかかるものであり、「良い記憶」の蓄積はやりたいことを継続してきた中で初めて実現できるものだろう。

 そして、その経験は分野を問わない。およそ現代で「仕事」と言われている内容であれば当然であるし、趣味でもよい。むしろ、継続して取り組んでいくためには「好きなこと」や「やっていて楽しいこと」である必要があるので、配置換えがあったり、役職が変わったりする可能性がある仕事関係よりも、趣味の方が一貫性という点で優れているかもしれない。

 ゴルフやテニスといったスポーツ、切手や昆虫の収集、カメラ、全ての旧街道を踏破すること等々、どんな世界でものめり込めば楽しいし、のめり込んでいくほど、積極的に乗り越えたくなるような壁ができる。

 それらが困難を克服してきた「良い記憶」として、記憶のネットワークを豊かにしてくれるだろう。趣味を持つことが人生を豊かにしてくれるとよく言われるが、これはすなわち、記憶のネットワークを豊かにするということでもあるのだ。そして、もし仕事の中に趣味のような楽しみと一貫性を見出せるのであれば、とても幸せなことだと言えよう。

羽生善治もアインシュタインも
日々の経験があってこそ

 意味記憶の蓄積が、優れた直観力の発揮に欠かせないということは、すなわち全ての人にとって、直観力は「今」が最も冴えわたっているのだと言える。人生の経験知は「今」こそ人生で最大に達しているはずだからだ。歳を重ねながら、仕事も趣味も真剣に取り組むことによって、その人の「良い経験」として蓄積している。

 しかし、現実はそう単純ではなく、脳の加齢によって変化が起きてくることは否めない。脳は生きていて、新たな経験知を記憶として残すと同時に、加齢による脳細胞の死と脱落・減少によって意味記憶のネットワークも少しずつ失われていくからだ。