大相撲のイラスト写真はイメージです Photo:PIXTA

日本の国技である相撲は、その歴史の長さゆえ、他のスポーツでは考えられないようなしきたりが多く存在する。今回は、横綱が締める綱を作る「綱打ち」の解説とともに、昭和の人気横綱・北の富士と故・玉の海の目頭が熱くなるようなエピソードを紹介しよう。※本稿は、内館牧子『大相撲の不思議3』(潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。

機械を一切使わず
手だけで作る「綱打ち」

 第58代横綱千代の富士は、新大関の場所からわずか3場所で、横綱昇進を果たしている。

 信じられるだろうか。大関3場所目を優勝で飾るや、横綱推挙の使者を迎えているのである。3場所で38勝をあげ、うち1場所は14勝1敗で優勝。あれよあれよという間に、横綱にかけ上がってしまった。

 今回は「綱打ち」を取り上げることにした。

「綱打ち」とは、横綱が締める綱を作ることである。横綱が所属する部屋に、同部屋や一門力士たちが2、30人集まる。そして、一切の機械を使わず、手だけで作りあげる。専門業者などには頼まない。

 この綱打ちは、東京場所(1月、5月、9月)の前にする。つまり、綱は2場所使ったら新しいものにするわけだ。大阪、名古屋、九州の地方場所には、その新しい綱を持って行く。また、巡業などで横綱土俵入りを披露することがあるが、その時もだ。

 そして、新横綱が誕生した時は、年3回とは別に、誕生のたびに作る。新横綱の綱を初めて打つことを、「綱打ち式」と呼ぶ。

 昔からの伝統を守った作り方は、圧巻である。

 まず、麻の繊維を米ぬかでもみほぐし、柔らかくしておく。それをより合わせ、銅線を入れ、3本の細い綱を作る。

 次にその3本を、それぞれ真っ白なさらし木綿で包む。包み終わると、全力士が白い手袋をする。この後が、綱打ちのハイライト。

 年3回の綱打ちがテレビで紹介されることは、ほとんどないが、新横綱の綱打ち式の時は、このハイライトがよく報じられる。

綱をより合わせるときに
絶対に地面に触れさせない理由

 より終えた3本の細い綱、今度はそれをより合わせ、太い綱にしていく。昔は「綱打ち」と呼ばず、「綱より」と言った理由がわかる。

 白い手袋の全力士が、向かい合って2列に並び、1列全員で1本の細い綱を持つ。さらに1人は2列の間に、あおむけに寝る。そして1本を持つ。3本の細い綱、これを掛け声をかけて、より合わせていく。

 この時の掛け声がいい。

「ひぃ、ふぅのみッ。それ、イチ、ニッ、サン」