「若貴の影」曙太郎が見つめ続けた、大相撲の栄枯盛衰曙さんの目に角界の栄枯盛衰の模様はどう映っていたのだろうか Photo:JIJI

日本の「国技」で初の外国人横綱に
曙太郎さんの想像を絶する相撲人生

 日本初の外国出身横綱・曙太郎さんが、心不全のため亡くなりました。7年前、プロレスの試合中に緊急搬送され、リハビリ生活の毎日でしたが、実は本当に「寂しい」晩年だったとのこと。なぜなら、コロナ禍のため、ハワイ生まれの彼の家族は、ほとんど来日できなかったからです。

 1998年に結婚したクリスティーン・麗子・カリーナ夫人との間に2男1女を授かりましたが、2人の愛息は父の出身地ハワイで仕事に就き、愛娘も客室乗務員だったため、入国制限で全く会えなかったそうです。記憶障害にもなっていた彼は「家族に見捨てられた」と本当に落ち込み、長男が緊急帰国して病床に駆けつけるのを待っていたかのように、息を引き取ったそうです。

 今や、ラグビー、バスケなど外国人選手が日本代表として活躍するのが当たり前の時代ですが、「国技相撲」で外国人の曙太郎さんが横綱まで登りつめるには大変な苦労があったと思います。

 実は、私は文春時代、ほとんど相撲の記事を書いたことがありません。いや、当時の大多数の文春記者も同じです。週刊誌の相撲記事といえば、週刊ポストの「八百長キャンペーン」が独壇場でした。その頃の週刊ポストは部数も文春の2倍くらいあり、「文春でも八百長相撲の記事をやらないか」という議論を編集部でしたこともありました。

 しかし、議論は常に「相撲はスポーツというよりショーでしょう。目くじら立てるのは大人気ない」と冷笑的な結論になります。私は文春とポストの差について、当時大阪を中心として関西でポストが圧倒的に強かったことが原因のひとつだと思います。「相撲の八百長は当たり前」と紳士面をしたい東京人。一方、本当は八百長だと知っていながら「どの勝負が八百長か」知りたがる面白がりの関西人。こんな文化の差が、八百長記事の背景にはあったように思います。

 とはいえ、個人的に大相撲と縁がなかったわけではありません。友人の元プロレスコミッションドクターで相撲の世界にも強い富家孝(ふけ・たかし)氏が、場所ごとに枡席に招待してくれ、相撲部屋の朝稽古も目の前で見ました。間近で見る、筋肉と筋肉がぶつかり合う凄い音に圧倒されました。