わたしがうまく言葉を返せずにいると、父はそんなわたしを見て、「大丈夫、愛しているよ」というようにほほえみました。それから何分か沈黙が続き、その後、父はまた意識を失うと、数時間後に亡くなりました。

終末期明晰は失われたはずの
記憶や能力を再生させている?

 こうした事例をどう考えればいいのだろうか?これらが終末期の患者にときおり起こりうる、支離滅裂な、ともすればぞっとするような幻覚やせん妄状態でないことは明白だ。

 事実、わたしのチームのデータベースにそういった事例は見られない。むしろこれらの事例の患者たちは、言語能力が明らかに回復しており、他者についての記憶も明らかに戻っていた。それは、終末期明晰のエピソードに入るまで長いあいだアクセスできなかった能力や記憶であり、にもかかわらず、患者は周囲の人々に感知できないものを経験したり、見たり聞いたりしていたのだ。

 通常の状況ではそれがまさに幻覚なのだろうが、これらのエピソードの主たる特徴は、あくまで精神の「混乱」ではなく「明晰さ」にあった。患者は、少なくとも自分の人生が終わりに近づいていることを自覚できる程度には意識がはっきりしており、その機会を利用して周囲の人々に別れを告げ、彼らと言語によるコミュニケーションを始めていたのだ。

 したがってこうした事例は、一種のハイブリット型として説明できるかもしれない。患者は、一方では明晰期をまぎれもなく経験したが、他方でその経験には、病院や介護施設の部屋での共有された客観的な現実とは相容れない要素があった、ということだ。

 この後者の要素は、イギリスの神経生理学者ピーター・フェンウィックらが近年調査を手がけた、とある終末期の体験に合致する。

 フェンウィックの研究グループは、認知症などの神経疾患ではない病気を患う一部の末期患者に見られる、いわゆる「お迎え現象」(訳注:死期の近づいた患者が、すでに亡くなっている人や神仏などの通常見ることのできない存在を知覚したり、その存在と会話を始めたりする現象)について報告した。そう考えると、先の逸話のような事例が終末期明晰の患者にときおり見られるのは、別に驚くことではないのかもしれない。