今年も夏休みシーズンがやってきた。山でハイキング、河原でバーベキュー、海ではシュノーケリングと、この時期ならではのアクティビティに胸が躍るが、その楽しさの陰には、命をおびやかす危険な生き物が必ず潜んでいる。もしもクマ、毒ヘビ、クラゲなどに遭遇したら、どのように身を守ればいいのだろうか。
そんな疑問にこたえる本『いのちをまもる図鑑 最強のピンチ脱出マニュアル』(ダイヤモンド社)が発刊された。危険生物から身を守る方法から、ケガの応急手当てまで。あらゆる危険から身を守る方法を記した本書の発売を記念して、動物学者の今泉忠明先生へのインタビューを行った。
今回の記事では、屋外で遭遇しやすい危険生物「クマ」への対処を聞いた。今泉先生のリアルなクマとの遭遇エピソードは、壮絶の一言。これを読んで、サバイバル能力を磨いてみてほしい。(取材・構成/澤田憲)
400kg超のハイイログマが目の前を横切っていった
――今泉先生は、『いのちをまもる図鑑』の第1章「危険生物からいのちを守る」を監修されています。本書の中には「クマと遭遇したときの対処」も紹介されていますね。実際、昨年から、日本各地でクマに襲われる被害が相次いでいます。今泉先生は、ほ乳類の生態調査で山や森に入る機会も多いと思いますが、今までクマと遭遇されたことはありますか?
今泉忠明(以下、今泉):うん。これまで5回くらいあったかな。
――5回ですか! よくぞご無事で……。特に印象に残っているものは何でしょうか?
今泉:昔、アメリカの国立公園にフィールドワークに行ったときはグリズリー、日本名だとハイイログマに会いました。体重400kgぐらいあるヒグマの近縁種ですね。
――で、でかい!
今泉:そのときはテントのそばで、花の蜜を吸うミツバチの写真を撮ってたんです。早朝であたりはモヤが出ていたんだけど、すぐ脇をサーって小さな影が走り過ぎていったの。でも向こうの国立公園には、野生動物なんてそこらじゅうにいるんですよ。
――そうなんですね。
今泉:だからあまり気にせずに撮影を続けていたんだけど、その後すぐ、のそりのそりって大きな影が視界の端を歩くのが見えたんだ。それで「何だ?」と思って見上げたら、でっかいハイイログマがいた。親子だったんだね。
――ええっ……、それはパニックになりますね。
今泉:うん、「写真撮らなきゃ」って思ってさ。接写レンズだったから、これじゃクマは撮影できないからあせったよね。
――…………んん?
今泉:それで急いでテントに戻って、望遠レンズに付け替えてさ。テントには一緒に調査にきてたSくんがまだ寝てたんだけど、「おいSくん! クマが出たぞ!」って叩き起こしてから、ボクはまたすぐクマのとこにすっ飛んでいったの。
――あの、先生……逃げなかったんですか?
今泉:うん、写真撮ろうと思ってさ。ただ、かなり距離が離されていて「このままじゃ追いつけねぇな」と思ったから、近くにある舗装道路を走って先回りしたんだ。そしたらクマの親子が、ちょうど森から舗装道路に出てきたとこに出くわした。それで「よし、撮影だ!」と思ってカメラを構えたら、Sくんが寝ぼけたままカメラを持って、「クマどこー!」って飛び出してきたの。ボクとクマの間に。
――(クマへの感覚がおかしい人もう一人いた)
今泉:それでボクは「あ、Sくんあぶねぇ」って思ったんだ。
――いまさら!
今泉:クマは、Sくんが出てきてびっくりしたんでしょうね。親グマが「グゥオオッ」ってうなりながらこっちに突進してきた。Sくんも面食らって「うわー!」って叫びながら近くの茂みにとびこんだんだ。でもさ、なりふり構わず急いで走るから、草がざわざわ揺れて、今どこにいるのか道路から丸見えなわけ。
――めちゃめちゃバレてる!
今泉:ただ親グマは、すぐに踵を返して戻っていったよ。子どもがいちばん大事だからね。で、ボクはその間、ずっと写真を撮ってたんだけど、親子グマがすっかり見えなくなってから、Sくんが草むらからひょっこり出てきたんだ。「クマどこー?」って聞くから、「もう行っちゃったよ」って教えてあげた。彼は汗かいておしまい。ダハハ!
――あ、はい……。
とにかく「出会わないための準備」を整える
――えーっと……、先生は動物の生態研究が仕事だから別として、一般人がクマに出会ったらそんなに落ち着いていられないですよね。メディアでは「出会ったら一巻の終わり」みたいな報道をよく見ますが、どうすれば危険を避けられるんでしょうか?
今泉:まず前提としてね、クマもほかの動物も、人間のことを恐れていて会いたくないんです。一般に野生動物には、外側から「逃走距離」「防衛距離」「臨界距離」っていう3つのパーソナルスペースがあると言われていますね。つまり、対象との距離が近づくにつれて、「逃げる」「身を守るために攻撃する」「激しく攻撃する」と、行動が変化するわけです。
――では、距離を取ることがまずは大事?
今泉:そう。防衛距離が大体30mくらいですから、それ以上の間隔は常に空けておきたいですね。そうすれば仮に出会っても、ほとんどの場合、クマのほうが去っていきます。
――なるほど。不用意にクマに近づきすぎないためには、どうすればいいのでしょうか?
今泉:山に入らないことです。
――いや……それはそう。
今泉:山や森というのは、やっぱりクマのテリトリーだから。そこにわざわざ自分から入っていくんだから、当然クマと出会うこともあるよねって思ってないとダメですよ。『いのちをまもる図鑑』の中では「自然界では異世界転生した気分で過ごせ」というふうに書いたんですが、それくらい、ふだんの生活圏とは違うという意識を持つことが大事です。
『いのちをまもる図鑑』1章より マンガ:横山了一
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――どんな山でも舐めずに、備えや警戒を怠るなということですか?
今泉:うん。だから不安なら、クマよけの鈴をつけてこちらの存在を先に知らせておくこと。いちばん怖いのが、お互い気づかずに出会い頭に会っちゃうことです。沢沿いを歩いたり、渓流で釣りをするのも危ないね。水の音でどちらの気配もかき消されてしまうから。いきなりクマの臨界距離に踏みこんでしまって、攻撃されます。
クマに会ったら走るな、止まれ
――では、クマに近い距離でばったり会ってしまったときは、どうすればいいのでしょう? 向こうが近づいてきたときは?
今泉:無言のまま仁王立ちして、にらみつける。まずはこれです。
――強キャラすぎます先生。それは、できる気がしません……。
今泉:あのね、クマに襲われるときはパニックになって、叫んだり走ったりしてることが多いんです。こちらが騒ぐから、クマも驚いて攻撃しちゃう。だから、怖くても騒いじゃダメです。
――でも、気持ち的には、すぐに走って逃げたいのですが。
今泉:ダメです。クマは走ると時速40kmは出ます。それに逃げるものに対しては、反射的に追いかける性質があるから、足だの背中だのを爪でえぐられて終わりですね。
――では、近くの木に登るのは?
今泉:クマのほうが人間より木登りが上手ですから、これもいけません。
――ではやはり、クマと正面から向き合うよりほかにない、と……。
今泉:そうです。『いのちをまもる図鑑』では、絵入りで紹介していますが、クマの目をにらんだまま、ゆっくり後ずさりしてください。ゆっくりね。クマに限らず、動物は「動かない物」に対してはかなり鈍感なんです。景色と見分けがつかなくなっちゃう。だから、ある程度距離を空けて、じっとしていれば、そのうちどっかに行ってしまいますよ。
『いのちをまもる図鑑』
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――だとすると、迷彩柄の服装は、動物よけにも効果的なんでしょうか?
今泉:うん、結構効果あると思うよ。草木に紛れられるからね。あとは向こうが近づいてきたら、目の前にリュックを投げてやるのもいいですね。クマが「なんかうまいもんが入ってるかな?」ってリュックをあさっている間に、距離を開けて逃げる。
――なるほど。万一クマと遭遇したときのために、リュックに非常食を入れておくとよさそうですね。
→「死んだふり」は効果ある? 次ページに続きます。