もし、攻撃態勢のクマと出会ってしまったら……

――ニュースを見ていると、クマの被害は「山や市街地で出会い頭にいきなり攻撃される」というパターンがやはり多いようです。もう逃げられない段階、クマが攻撃態勢に入っている場合は、どうすればいいのでしょうか?

今泉:それはもう、戦いだ。

――いやいやいや先生……、クマ相手に一般人が戦うのは無理があると思います。

今泉:そうかなぁ。昔、カルフォルニアのキャンプ場に滞在していたことがあったんだけどね。ある晩、外から物音がするから、「何だ?」と思ってテントを開けて覗いたの。そしたら目の前にでっかいアメリカクロクマがいた。

――「あ、死んだ」って思いますね、それは。

今泉:で、撮影しようと思ってすぐにカメラを探したんだけど、その間にどっか行っちゃったんだ。だから、すぐに走って追いかけたの。

――はい、そんな気がしていました。

今泉:そのうち遠くのキャンプ場から「ベアー! ベアー!」っていう叫び声が聞こえたから、急いで行ってみたんだよ。そしたらキャンプ場のたき火の近くに、クマがいるのが見えた。そこへテントの中から、5歳くらいのアメリカ人の男の子が急に飛び出してきたんだ。

――それはあぶない!

今泉:でも、その男の子が英語でワーワーまくしたてて、クマに蹴りを入れたんだ。そしたらクマが「ごめんなさーい」ってな感じで逃げてった。

――(少年ジャンプの主人公かな?)

今泉:要はね、舐められたら殺されるから。「こっちのほうが強いんだぞ」ということを態度で示さないといけない。死にたくないなら、ボクは戦うよ。

――うーん……。でも、それは誰でもできることではないと思うんです。戦わずにやり過ごす方法はないのですか?

死んだふりは無意味。場合によっては先制攻撃を

今泉:まず、死んだふりは意味がありません。『いのちをまもる図鑑』にも書いたとおり、クマは動物の死体も食べるので、お腹が減っていたらそのまま食べられてしまいます。あとクマは、特に頭や顔を狙って攻撃してくるので、一発食らっただけで致命傷になります。なので環境省のマニュアルでは、「両腕で頭を守って、ただちにうつ伏せになる」ことを推奨していますね。ただ、それで生き残れるかどうかは、運です。

――自力での防御は難しいとなると、やはり熊撃退スプレーなどを携行しておいたほうがいいのでしょうか?

今泉:うん、いいと思います。ただそれも、十分に引きつけないと効果はないです。一度、研究者がカムチャッカ半島のヒグマ相手にスプレーを噴射したのを見たことがあるんですけど、クマと50cmくらいの距離で噴射してましたね。逃げていきましたよ。

――ご、50cmまで近づかないといけないんですか。

今泉:せめて1mくらいかな。クマは攻撃するとき、必ずダーッと走ってきて、目の前で急停止するんだ。そのあと殴りかかってくるから、目の前で止まった瞬間にスプレーを思い切り吹きかける。

――もしもうまく出なかったらと考えると、おそろしい……。

今泉:うん。だからボクはスプレーよりも、杖で突くのを勧めるな。目とか鼻を狙って、登山用の杖で思い切り突く。叩いても全然効かないから、突くんです。攻撃は最大の防御ですよ。

30年前に野犬がいなくなって「ニュータイプ」が生まれた?

――クマと遭遇したときの対策を色々うかがってきましたが、そもそもですね、どうして最近になってクマが頻出するようになったのでしょうか?

今泉:町や村に行くと、おいしいものがあるって知ってるんだろうね。あと人慣れしてる。人間のことを恐がらないクマが増えました。

――それにはどんな原因があるのでしょう?

今泉:ひとつには、野良犬がいなくなったことが僕は関係あると考えています。昔は、山と村の境に野良犬がいっぱいいたんですよ。昔のクマは、イヌのいやらしさをわかっていたからね。1対1なら、もちろんクマのほうが強いけど、イヌは集団で戦うから。正面のイヌに気を取られているうちに、別のイヌが背後に回りこんで後あしを咬むんです。

――つまり、かつては野良犬のなわばりが、人とクマの緩衝地帯になっていたのが、野良犬をすべて捕獲してしまったことで、クマだけでなくシカやイノシシ、サルなんかも人里にまで出てくるようになった。

今泉:そうです。昔は、親グマから「村の近くに行ってはいけない」ということを教わっていた。でも、野良犬がいなくなったりクマ狩りの文化が薄れたりして、今のクマは、人間やイヌの怖さを知らないまま大人になっている。野良犬がいなくってから、ちょうど30年くらいでクマが頻出するようになったのは、やはり無関係じゃないと思うんだよね。

――興味深いです。でもまさか、そんな影響が出るとは、当時は思わなかったのでしょうね。

今泉:だから、何かを絶てば、何かが増えるってことなんだ。生態系は円環だから、人間の都合だけで操作しようとすると、必ずどこかに歪みが出ます。それでも対処しなくちゃいけないこともあるから、難しい問題ですよこれは。

今泉忠明(いまいずみ・ただあき)
東京水産大学(現東京海洋大学)卒業。国立科学博物館で哺乳類の分類学・生態学を学ぶ。文部省(現文部科学省)の国際生物学事業計画(IBP)調査、環境庁(現環境省)のイリオモテヤマネコの生態調査等に参加する。上野動物園の動物解説員を経て、現在は東京動物園協会評議員。『ざんねんないきもの事典』シリーズ(高橋書店)や『わけあって絶滅しました。』シリーズ(ダイヤモンド社)の監修もつとめる。

※本稿は、『いのちをまもる図鑑』(監修:池上彰、今泉忠明、国崎信江、西竜一 文:滝乃みわこ イラスト:五月女ケイ子、室木おすし マンガ:横山了一)に関連した書き下ろし記事です。