57歳の現役最年長選手、キングカズこと三浦知良が7月から、新天地のアトレチコ鈴鹿での挑戦をスタートさせている。ポルトガル2部クラブでプレーした約1年半で、出場わずか9試合で無得点だった元日本代表FWのもとには、なぜ新たなオファーが届くのか。J1から数えて“J4”にあたる日本フットボールリーグ(JFL)を戦う鈴鹿で、カズが現役を続けられる理由を探っていく。(ノンフィクションライター 藤江直人)
57歳キングカズを
裏で支える「2人のキーパーソン」とは?
日本フットボールリーグ(JFL)を戦う、アトレチコ鈴鹿の斉藤浩史オーナーは53歳。チームを率いる朴康造(パク・カンジョ)監督は44歳。そして、新たに加わった三浦知良は57歳。いまも現役を続ける伝説のストライカーだ。
監督とオーナーはキングカズを「さん付け」で呼ぶ。だが、年齢が上という事実だけが斉藤オーナーや朴監督を「カズさん」と言わせるわけではない。カズと斉藤オーナー、そして朴監督との間には、1990年代から紡がれてきた知られざる歴史がある。
かつて選手だった斉藤オーナーが、初めてカズと出会ったのは1990年の夏までさかのぼる。読売クラブ(現・東京ヴェルディ)のアカデミーから、トップチーム昇格を果たして2年目を迎えていた斉藤オーナーが、20歳になる直前。ブラジルでの成功を引っさげて、鳴り物入りで読売クラブへ加入したのがカズだった。
いわば、同じクラブチームの先輩後輩の関係だったのだ。カズは冗談まじりに「僕のカバン持ちです。1代目の」と苦笑しながら当時を振り返る。
「サイとは…サイと言っちゃいましたけど、斉藤オーナーとは彼が10代のときに知り合って、もちろん一緒にプレーしましたし、その後もプライベートを含めて、ずっと僕を応援してくれた存在でした」
スケールの大きなディフェンダーとして将来を期待されていた斉藤オーナーは、読売クラブ在籍時からブラジルでプレーする夢を抱き、ブラジル帰りのカズに何度も相談を重ねていた。
そして紹介されたのがカズの実父で、日本とブラジルのサッカー界をつなぐエージェント的な活動をしていた納谷宣雄氏(なや・のぶお/故人)だった。斉藤オーナーは故・納谷氏の手ほどきで、Jリーグが産声をあげる前年の1992年に、ブラジルのプロクラブ「キンゼ・ジ・ジャウー」へ加入。地球の裏側でのプレーが認められる形で、1993シーズンにはJリーグの清水エスパルスへ移籍した。
しかし斉藤オーナーは、清水では椎間板ヘルニアを患い、さらに足首に負った大怪我もあって2シーズンで退団。1995シーズンはJFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)に所属し、さらに翌年からは再びキンゼ・ジ・ジャウーでプレーした後にスパイクを脱ぎ、大好きなサッカーに別れを告げた。