リーグ戦で「9試合0得点」でも
現役を続けられるワケ

 オリベイレンセに所属した約1年半の成績は、リーグ戦で9試合に出場して無得点。プレー時間の合計も1試合分に満たない。これが普通の選手ならば、新たなオファーはおそらく舞い込んでこない。

 しかし、カズは違った。旧知の間柄である斉藤オーナーからのオファーに応え、移籍を果たしたのだ。オリベイレンセとの期限付き契約期間を終えて、日本へ帰国した5月下旬の段階で、カズは新たな期限付き移籍先を鈴鹿にすると心のなかで決めていたという。カズの保有権はJ2の横浜FCが持っているため、契約事項の整理は必要だったものの、交渉は問題なくまとまった。

 移籍を発表する記者会見の場で、カズは次のように語った。

「毎日のように体に疲労が蓄積されていくなかで、(中略)100パーセントの情熱をもってプレーできるのか。こういった点を本当に考えなければいけない年齢にもなっているし、それが本当にできるのかと自問自答もしていますけど、それでも僕のなかには(現役を)辞めるという選択肢はまったくないので」

「このようにチームがオファーしてくれるのもひとつですし、みなさんが記者会見に集まってくれるのもそうですし、もちろんファン・サポーターの一人ひとりの声であるとか、(これらを励みにして)まだまだピッチ上で戦っていくためのモチベーションは常にわいてきます」

 選手本人が現役続行を望み、ぜひとも迎え入れたいとオファーを出すクラブがある。この関係が続く限りは、いくらピッチ上の数字が振るわないといっても、カズのキャリアは続行されていく。

 そして、7月1日付で鈴鹿の新指揮官に就任した朴監督も、1990年代からカズとの縁がある。当時は選手だった朴監督が、兵庫・滝川第二高から京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に加入し、2シーズン目を迎えていた1999年の夏。憧れの選手だったカズが、クロアチアのディナモ・ザグレブから移籍してきた(※)。

※当時のカズはサントスFC(ブラジル)→読売クラブ/ヴェルディ川崎(日本)→ジェノア(イタリア)→ヴェルディ川崎に復帰→ディナモ・ザグレブ(クロアチア)→京都パープルサンガ(日本)→ヴィッセル神戸(日本)という順に移籍を重ねていた。

 もっとも、朴監督は1999年オフに京都を戦力外となり、カズとの共闘はすぐに途切れた。朴監督はそれでも現役を続け、韓国Kリーグの城南一和天馬をへて、2003シーズンにヴィッセル神戸へ移籍した。このタイミングで、京都から神戸へとひと足早く移籍していたカズと再会。カズが横浜FCに去る2005年7月まで濃密な時間をともにした。

 現役時代の朴監督は、カズのおなじみのゴールパフォーマンス「カズダンス」を舞ってもいいと公認を得ていたほどの信頼関係を築いた。その後はカズが現役を続ける一方で、朴監督は女子サッカーの指導者としても活動。澤穂希さんの古巣・INAC神戸レオネッサでも指揮官を務めた。そして縁あって、今夏から再び共闘することとなった。